78年の秋。京都で世界クラフト会議をやっているちょうどその時期に、東京で「暮らしの中の自然展」が開かれ、そこに、全国から集めた数千点の木のクラフトに交って、時さんのニュータウン建設現場に捨ててあった雑木で創ったサラダボールや宝石入れが並んでいた。壁には荒々しいニュータウンの建設風景の写真。その前で時さんと仲間のクラフト運動家たちが、「捨ててあった雑木でもこんな立派な器が創れます。雑木を見直そう、雑木でクラフトを!」とキャンペーンしていた。時さんのクラフトは運動だ。運動はお金にならないから生活費は役所で稼ぐ。時さんは役人の裏作クラフトマンなのである。
時さんと同じ役人裏作クラフトマンが、全国の県立試験機関には沢山いる。大分の竹の珠ちゃんこと宮崎珠太郎。福井の焼物の原子光生(げんしこうせい)。宮崎の工芸村、ひむか邑(むら)の推進者黒木進。弘前のデザイナー望月好夫と九戸真樹。みんなそろって日本のクラフト運動の担い手だが、「役人の裏作」でそれをやっている。
雪深い秋山郷(新潟県中魚沼郡津南町と長野県下水内郡栄村とにまたがる中津川沿いの地域の名称)には、裏作クラフトの原型がついこの間まで残っていた。かつての結東や見倉の男たちは、一人のこらず木鉢づくりのクラフトマンだった。冬ごと裏作の木鉢をつくっては春、作りためた木鉢を背負って峠を越し、野沢の町などで金に替えたりしていたが、近年、とんと需要が減って作るものが一人減り二人減りしたがただ一人、大赤沢の政一じいさんだけは木鉢づくりをやめようとしなかった。
以前は冬にだけ作っていた木鉢を、夏も秋も、春にも作り始めた。政一さんは齢70となんぼかだから、畑仕事に精出す必要はもうない。孫の面倒でも見てりゃあいい身分なのだが、好きな木鉢づくりがやめられず、老後の楽しみにと木鉢をコツンコツンと作っている。
政一じいさんの木鉢は、つくりが実に堂々としている。売る気がなくて、ただ作るために作ったもの、作りを楽しんで作ったものの立派さが器の形にあふれている。最近ふとしたことで政一さんの木鉢は評判になり、このところ買手の間で引張り凧だが、政一じいさんはあいかわらず、ゆっくりゆっくり、コツンコツンと楽しみながら木鉢を作っている。
秋山の木鉢づくりはすっかり変った。以前は山の村の「冬の裏作」だったが、いまは年寄りの「人生の裏作」に変った。政一さんの木鉢づくりは余暇型クラフトと言えなくもない。なぜなら老後は人生の余暇なのだから。その余暇に政一老人は木鉢作りで遊んでいるのだから。
磯矢阿伎良(あきら)さん、すばらしい漆器を創る人。青梅に住まいと工房がある。わさび沢もある広々とした敷地と渓谷ぞいの林の中の工房で、磯矢さんは来る日も来る日も静閑な漆工芸三昧。 磯矢さんはもと先生だった。停年退職まで東京の芸術大学で工芸計画(デザイン)の教授だった。
「素地挽きから木堅め、そして中塗・上塗・上絵つけと、一貫して一人で手がけますと、実に面白いんで」と先生。作りをとことん楽しんで作ったその椀は、滅法安い。企業型クラフトのつくる椀と大差のない価格で、桐箱に入った作家ものより上出来の椀がだれにでも買える。弟子も大勢だが、分業は許さない。楽しむためにだ。分業すると楽しかるべき手仕事が苦痛に変ることがある。
磯矢さんの漆のクラフトも大赤沢の政一さんと同じ「人生の裏作」だ。教授を勤めあげた人ならではのゆとりのクラフトだ。だが余暇型ではない。厳しさがある。余暇のつれづれにと言った甘さは全くなくて、厳しい。世の作家型・企業型・余暇型の工芸への鋭い批判が感じられる。W・C・Cの会議に磯矢工房の椀を置いておいたら、アメリカ人はなんと見たろう。なんと言っただろう。
出典元・著作の紹介
『暮しのリ・デザイン』
玉川大学出版部 | 単行本 | 1980
これまで取り上げてきた道具や話題を生活という尺度で測り直すと、また別の物語や提案が出てくるのが秋岡芳夫の発想のすごさだ。「国鉄が捨てたD51型蒸気機関車(愛称:デゴイチ)を拾って、薪を焚いてロクロや帯鋸じゃんじゃん回して木工やって、過疎の地の村おこしやろう」という提案にはじまって、話題はエネルギー問題から包丁の柄のデザインまで縦横無尽に広がる。裏作工芸の発想もこのあたりからはじまった。
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※掲載箇所:「暮しのリ・デザイン」 p191~p198)
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