過去のCCJの主な活動
- ・地場産業に対しデザイナーを派遣し、デザインや商品開発などのサポート、コンサルティングを行う。
- ・選定委員会が一定の基準に照らして審査し、すぐれたクラフト商品と認定したものにCマークとよばれる認定証を発行した。
- ・Cマーク商品を広く暮らしに浸透させるために丸善が仕入れ、全国各店でCCJの展示ギャラリーで販売した。
クラフトデザインの運動体としてのCCJと、小売業の丸善とが二人三脚でクラフト商品のレベルアップと普及に努めてきました。同時代、日本インダストリアルデザイナー協会、日本クラフトデザイン協会など、もの作りに関わるいくつもの団体が生まれましたが、CCJは流通をも担った唯一の団体といえます。
クラフトの種をまいた人々
1950年代まで、日本人の日常生活道具のほとんどは、木、竹、漆、土といった素材を中心に職人の手業で生産されてきました。零細な企業・家業が集まって産地が形成され、産地問屋、消費地問屋を経て小売店への流通がなりたっていました。玉石混淆のいわゆる地場産業でした。
その時代に、世界に誇れる日本の伝統的手技で、新しい時代にふさわしい機能的で美しい暮らしの道具を創り出そうと考えた工芸家やデザイナーがいました。一方で、まだ見るべき工業製品のなかった日本の、唯一の輸出産業としてレベルの高い工芸品産業を育てたいと考える行政関係者がいました。クラフト・センター・ジャパンは、この両者の情熱がドッキングしたところからスタートしました。クラフトという聞き慣れない言葉には、これまでとは違う新しい暮らしの道具を作ろうという作り手やデザイナーたちの意気込みもあらわしていました。
何度も書き直されたとおぼしき、設立趣意書には、勝見勝、加藤達美、佐藤潤四郎、吉田丈夫、渡辺力など、昭和の輝かしいデザイナーや論客のほか、当時の丸善社長・司忠(初代理事長)、顧問として渋澤敬三など、経済界の重鎮の名前が連なっています。
定款は、力強い工芸産業と暮らし文化を育成しようという意気込みに満ちています。その後の日本の工業発展のスピードはめざましく、CCJの使命は輸出振興ではなく、日本人の暮らしの質の向上に変わり、クラフトの流通を通じて、よき作り手とよき使い手の育成に貢献してきました。
スポンサーを離れての新CCJ
モノ・モノに事務局を移転したのをきっかけに役員の若返りを進め、工芸やクラフトに特化した見本市の開催を行ってきました。作り手、売り手、使い手を結んだ「CCJクラフト見本市」は好評を得て、多数の流通関係者が訪れました。
見本市運営そのものは成功していたものの、資金面での課題をクリアできず、2014年6月15日に一般財団法人の解散を行いました。現在は任意団体として新たなミッションを模索しています。活動再開のお知らせは、モノ・モノのホームページを通じて行います。
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クラフト・センター・ジャパンのホームページは閉鎖しました。当団体へのお問合せは、モノ・モノへお願いします。
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