Our history

モノ・モノの歴史

モノ・モノは、東京・中野にある古い集合住宅の一室にあります。創設したのは工業デザイナーの秋岡芳夫(1920-1997)。彼を中心とする有志の集まり、「グループ モノ・モノ」は、1970~80年代にかけて日本各地で独自の生活デザイン運動を展開しました。

モノ・モノサロンの様子
モノ・モノサロンの熱気を伝える貴重な写真。写真右側の立っている男性が秋岡芳夫。(モノ・モノ撮影)

「モノ・モノ」ってどんなグループ?

みずからを「立ち止まったデザイナー」と称する秋岡芳夫が「グループモノ・モノ」を結成し、本格的に活動を開始したのは1970年。秋岡芳夫が工業デザイナーとして活躍した1960年代は急激な工業化が進み、手仕事で作られていた生活用品が機械で作られる大量生産品に取って代わられていく時代でした。

1970年代のモノ・モノの様子。
1970年代のモノ・モノの様子。写真中央に見える茶色のシャツの男性が秋岡芳夫。

「消費者をやめて愛用者になろう!」「生活用品の画一化、使い捨てが暮らしの根底を揺るがす時代にわれわれは何をなすべきか、とことん話し合おう」と、秋岡芳夫が提唱。それに呼応して集まったのはデザイナー、クラフトマン、編集者、カメラマン、商社マンなど十数人。場所は東京・中野にあるマンションの一室。別名「104会議室」(※1)とよばれていた、このスペースは「デザイナーの提案活動の無駄を省くためにも、デザイナーの主催する会議室を持とう」という提案のもと、秋岡氏が1969年に開設。会議室はやがて交流のための場となり、毎週木曜日の晩になると、どこからともなく作り手たちが集まり、「モノ・モノサロン」(※2)と称して深夜まで活発な議論がくり広げられました。

余談ですが、104会議室開設にあたって真っ先に用意されたのは、机ではなく5組の布団だったそう。「終電の時間を気にせずに、心ゆくまで語り合う場がほしかったんだ」という秋岡氏の当時の意気込みが感じられるエピソードです。

モノ・モノのロゴマークの由来となった概念図。aーみんなで持ち寄った問題を討議し、bー話し合いと提案を繰り返しながら問題点をつめ、cー“参加と合意”の結論と具体的な提案をまとめ、dー次の行動にうつるためにプロジェクトのチームを解散する。このうちcの状態をロゴ化したもの。
モノ・モノのロゴマークの由来となった概念図。aーみんなで持ち寄った問題を討議し、bー話し合いと提案を繰り返しながら問題点をつめ、cー“参加と合意”の結論と具体的な提案をまとめ、dー次の行動にうつるためにプロジェクトのチームを解散する。このうちcの状態がロゴになった。
「割り箸から車まで」
秋岡芳夫が1971年に出した最初の著作。大量消費社会にいち早く警鐘を鳴らした。

秋岡芳夫とグループモノ・モノが残したもの

この「モノ・モノサロン」がきっかけとなり、生活デザインに関連するさまざまな先進的な試みが日本各地で行われました。その成果は『秋岡芳夫とグループモノ・モノの10年』(玉川大学出版部)や『DOMA 秋岡芳夫 モノへの思想と関係のデザイン』(美術出版社)といった書籍でくわしく紹介されていますが、ここでは代表的なプロジェクトを紹介します。

「今日のクラフト展」|1971年

「今日のクラフト展」「もっと暮らしの中にクラフトを」というキャッチフレーズで秋岡芳夫とグループモノ・モノが最初に企画した大型展示会。「消費者をやめて愛用者になろう」という秋岡氏のメッセージは、グループメンバーの参画によって、プロジェクトとして次々と具現化した。職人が販売に立ち会う「展示即売会」は、いまではめずらしくないが、じつはグループモノ・モノが百貨店に先んじてはじめた販売手法。作り手と使い手がじかに話せる場は、当時は希だったこともあり、話題となった。この展示会は丸善の各店にあるクラフト・センター・ジャパンの展示場を巡回。新聞でも大きくとりあげられ、グループモノ・モノの名前が全国的に知られるようになった。
(写真:日本橋丸善で開催された「今日のクラフト展」。モノ・モノ撮影)

「1100人の会」|1975年

「1100人の会」「ほれて作る、ほれられて作る、ほれて買う」、「人とモノ、人と人との原点的な関係を取り戻す」ために生まれた、工芸好きの同好会。作り手100人、使い手1000人、顔見知りの関係を成り立たせるため、会員1100人を限度とし、2013年に休会するまで、38年もの間、作り手と使い手の密接な交流は続いた。具体的な活動としては、1月の新年会と6月の総会にくわえ、10月に地方の産地や工房を見学する「創会」が毎年開催された。初代の世話役は長野市の民藝店オーナーだった横井洋一氏がつとめた。
(写真:1100人の会の会報の名称は『1100人通信』といった。)

「熊本県伝統工芸館」|1982年

熊本県伝統工芸館熊本県伝統工芸館は、秋岡芳夫が提唱する「地域におけるモノづくりと暮らし」という考え方を全面的に取り入れることで開設された。熊本県には産地化した工芸品が存在せず、作り手の数も他県に比べると少ない状況だった。これらの弱点を逆手に取り、地域の魅力と特性を生かしながら提唱していく役割が伝統工芸館に託され、「手で観る工芸館」「誂えがきく工芸館」「市の立つ工芸館」という3つのキーワードが基本構想に取り込まれた。1982年の開館記念展はグループモノ・モノが中心となり、「現代に生きる伝統工芸・北と南のクラフト展」をテーマに、沖縄から北海道まで全国の産地のクラフトや工芸品が展示がされた。
(写真:熊本城の眼前にひっそりとたたずむ熊本県伝統工芸館の建物。設計は菊竹清訓。)

生活道具店としてのモノ・モノの変遷

このようにモノ・モノは、秋岡芳夫とその思想に共感する人たちのボランティア組織としてはじまりました。プロジェクトの過程でさまざまな商品や作品が生まれ、それらは自然な成り行きとして中野の会議室で展示販売されるようになりました。販売業務の拡大にともない、1979年に有限会社モノ・モノが設立され、クラフトの流通問題にも取り組みます。

1980年代に入ると秋岡氏は日本人の暮らし方にあった家具や生活道具のデザインを手がけるようになります。座の暮らしを意識した「あぐらのかける男の椅子」や、カーペットスタイルの置き畳「い草カーペット」、畳を家具化した「箱TATAMI」などは、後に多くのコピー商品が出回るほど人気を博しました。また秋岡氏は生活デザイン関する多数の書籍や、新聞・雑誌での連載を手がけ、多くの秋岡ファンがモノ・モノに訪れました。

旧モノ・モノの店内
改装工事前のモノ・モノの様子。マンションの一室をショールームとして使用していた。

しかし、1997年に秋岡氏が死去してからは、モノ・モノがメディアに取り上げられる機会は少なくなり、またグループモノ・モノの初期メンバーや顧客も高齢化するなど、歴史ある場を維持することが年々難しい状況になってきました。

戦後クラフト運動の拠点となった歴史的な場所を再生し、ふたたび活気あふれる場所にしたい――。そんな思いから、モノ・モノは2015年6月に社長交代を行い、クラウドファンディングによる資金調達、国の補助金、関係者からの寄付金を得て、大規模な改装工事を実施しました。

新生モノ・モノが目指す、3つの社会的ミッション

従来のモノ・モノがはたしてきた役割は、ふたつあります。ひとつは「工業社会下での、モノづくりコミュニティーの構築」。もうひとつは、「生活文化の見直し、生活技術の回復」です。これらのよき伝統は踏襲しながら、新生モノ・モノでは以下の3つのプロジェクトを今後進める予定です。

モノ・モノ店内
改装後のモノ・モノ。5LDKの間取りをスケルトンに戻し、広々とした空間を確保した。

(1)秋岡芳夫の言葉を伝える活動

モノ・モノ創設者の秋岡芳夫は、暮らしやデザイン、木工に関する多数の著作を残しています。しかしながら、そのどれも絶版となり、入手困難となっています。当社では出版社や著作権継承者の許可のもと、書籍の一部抜粋し、ウェブサイトにアーカイブを行っています。一定層の読者が見込める著作はオリジナルの文庫本として復刊しています。

(2)日本の木の文化を守る活動

戦後、全国的に植林された杉は現在、伐採の適齢期を迎え、その活用がいま求められています。モノ・モノでは、秋岡芳夫が30代のときに仲間とデザインした、杉のDIY家具の書籍をリメイク復刊。工作の楽しさ、日本人にとって一番身近な木材である杉の魅力を伝えるワークショップを各地で行っています。また、木の器や木の家具に加えて、木の家も提案すべく、木造住宅専門の建築設計事務所と連携、住まいの相談サービスも行っています。

(3)昭和期のクラフトの復刻

インテリアや工業製品の世界では、ミッドセンチュリーとよばれる1940年代から60年代にかけて、多くの名作デザインが生まれています。日本のクラフト界も同様で、デザイナーの感性をあわせ持つ優秀なクラフトマンたちが、産地との深い関わりの中で、秀逸なモダンデザインを残しています。新生モノ・モノでは、こうした昭和期の名作クラフトを後世に残し、オンラインショップで販売する仕組み作りに取り組んでいます。

モノ・モノの歴史をもっと知るための書籍案内

秋岡芳夫とグループモノ・モノの10年

秋岡芳夫とグループモノ・モノの10年―あるデザイン運動の歴史

新荘泰子著|玉川大学出版部|1980

1970年に活動をはじめた秋岡芳夫とグループモノ・モノの、その後の10年間の活動を記録した貴重な本。著者はモノ・モノ前代表の山口泰子(新庄泰子はペンネーム)。地域デザインや産地復興を考えるためのヒントが満載。

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工芸ニュース

工芸ニュース Vol.39

工業技術院産業工芸試験所編集|1971

「104会議室」や「グループモノ・モノ」の設立趣旨について、秋岡芳夫がデザイン誌『工芸ニュース』に寄稿した原稿を、当社のウェブサイトにそれぞれアーカイブしています。

「104会議室」について(Vol.39-No.1)

「グループモノ・モノ」について(Vol.39-No.5)