わたしの名刺

工業デザイナーの秋岡芳夫は、暮らしや木工に関する多数の著作を残しています。モノ・モノでは秋岡芳夫の本の中から、現代に通じる提言や言葉を掘り起こし、ウェブ上に公開しています。本稿では、「私の名刺」と称し、工作人間としての自己紹介がつづられています。

文: 秋岡芳夫(工業デザイナー)

秋岡芳夫
目黒区にあった秋岡芳夫のアトリエにて。スーパー竹とんぼ製作中の一コマ。(撮影:堂六雅子)

ほんとうは「工作人間」と書きたい

わたしは工業デザイナー。東京で車やポットや椅子のデザインをするかたわら、仙台の東北工業大学で「コミュニティ生産」の研究をしています。

「住まいは個別の暮らしのいれもの。量産・画一化はいけない。風土別・個別にそれぞれの町で、建主が大工さんと相談しながらこれからも建てつづけたほうがいい」住宅をコミュニティ生産品にするには? といった研究をしているのです。

これからの生活には3種類の、それぞれ生産方式や素材や使い方の違う生活用具が必要になるでしょう。その一つは自動車やテレビのような「工場生産」のもの。二番目はご飯茶椀や漆の味噌汁椀のような「産地生産」のもの。そして三番目に住まいや眼鏡や身障者の生活用具のような、町や村で誂えてつくる「コミュニティ生産」のもの。

でもなぜ、これからの生活用具は3種類の別々の生産方式で作り分けなければならないのでしょうか?

車は町の技術では作れません。お椀を工場で作るとプラスチックになります。住まいを工場で作ると画一化してしまいます。工場の技術でも産地の技術ででも身障者の生活用具は作れません。あまりにも個別性を要求されるからです。一品・微量の商品だからです。 工場で車。産地でお椀。コミュニティ (町) で住まい。この作り分けを、大学で研究しているのです。

わたしの名刺は風変わりです。曜日別に、いろんなことをしていますと書いてあります。

 土曜——工房 (東京・目黒)
 日曜――自宅 (東京・目黒)
 月曜――会議室 (東京・中野のデザイン事務所)
 火・水・木曜――研究室 (仙台・東北工業大学)
 金曜――旅

大学教授・工業デザイナーといった肩書は書いてありません。もし名刺になにか肩書を書くとしたら、わたしは「工作人間」と書きたいのです。でも工作人間なんて肩書は世間にはたぶん通用しないでしょう。だれにもわからないでしょう。だから書いてありません。

わたしは小学生の頃から算術丙・修身乙・図工甲の工作人間でした。学校に上がる前から刃物で遊んでいました。小学校時代は竹とんぼと呼鈴作り、中学ではグライダーのフライングスケールモデル、大学では通信機と本もののグライダー作りで遊んでいました。

学校を出てからは工作遊びのつづきで、建築・家具・玩具・車・カメラ・家電製品のデザインをやりました。例のブルートレーンはわたしの20年むかしのデザインです。

いろいろな工業製品のデザインをしながら自宅に工房をつくり、小学校の頃と同じようなことをしつづけています。刃物を研いだり板を削ったり。商売ではありません。工作遊びなのです。名刺の土曜日の欄に書きこんである東京・目黒の工房がその遊び場なのです。願って叶うものなら週3日はこの工房で楽しく、と思うのですが、思うようにはなりません。工作人間らしい暮らしは目下週一日で我慢なのです。

わたしの名刺の曜日の並び順は世間の常識とは逆に土曜から始まって金曜で終わっていますが、これは土曜、つまり自由に工作できる日をいちばん大事に考えてトップにもっていったのです。

わたしは子どものときから工作人間でした。そしていまも工作人間なのです。

出典元・著作の紹介

木のある生活 つかう・つくる・たのしむ

増補版 『割りばしから車まで』

柏樹社 | 単行本 | 1981

秋岡芳夫の最初の著作『割り箸から車まで〜消費者をやめて愛用者になろう!』の増補版として、前著のちょうど10年後に出版された。内容は8割以上刷新されているため、事実上の新著といってもよい。プロローグは「この十年は、家庭の生活技術が猛烈な早さで消滅に向かって下降線をたどった年月でした」というメッセージではじまり、生活技術の復権をあらためて訴えかけている。最後の著作『新和風のすすめ』とあわせて読みたい一冊。
こちらの本はAmazonで購入できます。

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※掲載箇所:増補版『割りばしから車まで』(柏樹社/1981年発行)より P221~223

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