モノ・モノ。生活をデザインするグループだ。昭和46年に東京で「モノを捨てない暮らしのすすめ展」を開いてこのかた、工業化・都市化の進む日本はどう暮したらいいのかと考え、こうしたら、と生活提案をしつづけて来た工芸グループだが、こんどは「裏作工芸展」を開こうといまその準備にとりかかっている。
モノ・モノは工芸を4つの型に区別している。Ⅰ、作家指向型でつくる工芸、Ⅱ、企業がつくる工芸、Ⅲ、生業型でつくる工芸。そして、Ⅳ、裏作工芸。Ⅳだけが職業的でないつくり方の工芸だ。
モノ・モノは東京中野のマンションで、彼らの言うⅢとⅣの工芸品を主にならべて常設展示型式で工芸品の即売をしている。Ⅰのものは全く置いていない。Ⅱのものは少しだけ置いてある。作家ものの工芸品はふだんの実用を満してくれないから美術品だ、工芸品とは言えないと見て、モノ・モノには作家ものの工芸品は置いていない。
企業が工芸品を利益追求目的で生産すると、省力化・量産・機械加工の結果、安くて買いやすい工芸品は出来るが、分業化と機械加工のためにモノづくりの面白さが半減する。工員の労働が工業と同質になる。こうした生産方式で量産した湯呑みなどはもはや、たとえ民芸調の釉をかけてあっても、工芸品とは呼べない。工業製品だとモノ・モノは見る。つまりモノ・モノは日常の用を足してくれない美術品や作る工程が楽しめない工業製品には関心を示さない。
モノ・モノの展示室はミーティングにも使っている10坪ほどの部屋に過ぎないが、そこに並べてあるモノは大半Ⅲのモノで、それに混って少数のⅣのモノがある。いずれも職人の技術と工具で作ったものだ。
モノ・モノの展示室に並んでいるのは、福井、河和田の山本さんの汁椀。愛媛、砥部の工藤くんの皿。大分、日田の安間くんの木のナイフ、スプーン。津軽塗の田中さんのところの女の子が塗ってる七々子や石目の箸。大分の豊田さんのスリッパ入れの籠(この人はもとは農業専一だったが、数年間から竹のクラフトに専念しだした人)。四国、高松の有岡さんのモミのパン皿。宮島の西岡さんの茶盆。鳴子の伊藤くんの汁椀などと、日常品ばかり。いずれも買える値段のクラフトだ。
産地問屋や町の小売店から「良すぎて売れない」とレッテルを貼られて流通し難いモノを、「よすぎて売れないのは売り方がまずいんだろう」とモノ・モノはそれらを売ってみる。よすぎるものはほんとうに売れないのか? と。
モノ・モノがⅢのモノを重視しているのは、Ⅲの技術が基本的には1品の注文にも応じられる生産技術だからだ。工業の技術は型による量産の技術だから誂えモノは作れない。その工業技術の欠点をⅢの技術はおぎなってくれる。
例えば、左ききの鋏。刃物産地の工場ではなかなか作ってくれないが、町の鍛冶に頼めば作ってもらえる。身障児の家具や歩行補助具や遊具。これらはプレスやインジェクションの機械では作れない。寸法・機能を1コ1コ、子供らに合わせなければいけないからだ。木の手作りなら創れる。洋服の誂えのように小椅子を一脚、ぼくの体、ぼくの坐りぐせに合わせて作ってもらえないか。そう頼んでも家具の大メーカーは応じてくれないが、椅子のクラフトマンなら創ってくれる。椅子のクラフトマンや町で身障児用品を作る若者や注文の鋏も作ってくれる鍛冶が近頃、少しずつではあるが増えている。もっと増えてほしい。モノ・モノはそう願って彼らのモノを展示室にならべておく。
入歯のように、椅子も眼鏡も鋏も住まいも、ぼくらの住んでいる町の工房で作ってもらいたい。クラフトで。工芸の技術と材料で。誂えで。
すでに10年続いていたモノ・モノのサロン(毎週月曜の夜)でみんなで話し合った「工業化社会での工芸はどうあるべきか」を箇条書きにすると、こんなふうになる。
(1) 工芸は楽しい労働であること。
(2) 工芸は「誂え」の利く工法をこれからも維持すること。
(3) 工芸は「誂え」に応ずることで生活者の生産参加の復権に役立つこと。
(4) 工芸品は町や村で創ることでコミュニティの生産力回復に役立つこと。
(5) 工芸はめいめいの生産用具を供給することで個性的な生活環境を創るのに役立つこと。
(6) 工芸は省資源産業をめざすこと。
街の人たちに(1)から(6)までを訴えてみようと、昭和49年には「木のモノ展」を1週間開いた。昭和50年から53年まで4回、仙台で開いた「木のモノ展シリーズ」の「日本人のイス展」では、東北・北海道で作っている家具ををならべて、東北の町で暮らすんなら東北で作ってる家具を使って暮らそうと訴えた。昭和53年の秋、東京で開かれた「暮らしの中の自然展」にも参加して、全国にはまだこんな大勢の誂えに応じてくれる職人さんがいますよと、桶・挽物・指物・洋家具・玩具・身障児用品の実演と受注をこころみた。
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