日本のモダンリビングを語る時、必ず取り上げられる椅子に豊口克平デザインの「スポークチェア」があります。横幅が81cmもある大らかな楕円形の座面と、細い丸棒(スポーク)を並べた背が特徴の、シンプルですが親しみやすく、とても存在感のある椅子です。1963年に山形の天童木工から発表され、一時生産中止になるものの、現在も製造されています。
楕円形の座面はあぐらがかける深い奥行きを持ち、横座りしたり斜めに脚を投げ出したりしても快適です。背中全体を包み込むように配されたスポークの数が13本と多めなのは背中に当たる感触がやさしくなるよう考慮してのことでしょう。その背もたれも倒れ過ぎず立ち過ぎず、本や新聞を読んだりコーヒーを飲んでくつろいだりするのにちょうどよい角度になっています。
この椅子は構造的にも大変ユニークです。座面を支える楕円形のテニスラケットのような木の枠は天童木工が得意とする成形合板の技術で造られています。同じ楕円形の座面を前にずらして置き、あらわになる枠の後側に上から背のスポークを差込み、ついでに座面後方を枠の内側に少し落として斜めに取り付けることで座ったとき腰が落ち着くような角度をつけています。
「スポークチェア」にみる構造やデザインの合理性は、この椅子がイギリスの伝統的な椅子、ウィンザーチェアを手本にしているからだと思われます。
ウィンザーチェアは17世紀の終わり頃からロンドン近郊の都市ハイ・ウィッコム周辺の職人たちによって作られ、一般市民に広く使われた「庶民の椅子」。実用性と経済性そして造形性にも優れ、現代にも通じる椅子デザインの原点の一つと言われています。「スポークチェア」の背もたれは、丸棒(スポーク)を並べることで構成されており、スポークと脚を座面(座枠)に直接差し込む単純な構造はウィンザーチェアの手法そのものです。また、ウィンザーチェアのエッセンスを抽象化した明快なデザインは日本の伝統的な意匠にもつながっているように思います。
この椅子のもう一つの特徴は座面の「低さ」です。一般的なソファ等は座面高さ40cm程度で、これは欧米のサイズを参照したものです。「スポークチェア」は高さ34cm。家の中では靴を脱いで裸足で暮らす日本人がゆったりと座るのに最適な高さに設計されています。和室で使用しても畳に座った人と視線の差が少なく、天井の低い日本家屋でも違和感がありません。太めの脚は先端が「坊主」形に丸められ、畳やカーペットが傷まないよう配慮してあります。
このように「スポークチェア」は床に座る文化を長く保ってきた日本の生活空間に適したデザインを追及した椅子でもあるのです。ちなみにモノ・モノの創設者、工業デザイナー秋岡芳夫は、この豊口の考え方に大いに共鳴し、「スポークチェア」を”ドマ工房”と名付けた、自らのアトリエに置き、終生愛用しました。
豊口克平は1905年生まれ、東京高等工芸学校(現・千葉大学工学部)工芸図案科卒業後、高等工芸の講師であった建築家、蔵田周忠のもとで1928年「型而(けいじ)工房」というグループを組織します。蔵田はヨーロッパに留学してバウハウスの影響を受けるなど、当時としては先鋭的な考え方を持つ一方、生活学の創始者で建築家でもあった今和次郎に師事し、一般大衆の生活改善を唱えた人でもありました。
「型而工房」は住宅建築から家具、台所設備に至るまで暮らしに関するほとんどの分野を研究の対象とし、実製作も手がけました。家具のデザインでは人間工学の考えをいち早く取り入れ、日本人の体格や生活習慣をリサーチし「新時代の日本人のための家具」を提案しています。その後、豊口は商工省工芸指導所に入所、ブルーノ・タウトや剣持勇らと黎明期の日本のデザインの発展のために尽力します。「スポークチェア」をデザインしたのは、フリーランスとして独立後の58歳の時でした。
日本のデザイン界で数々のパイオニアワークを手掛けた豊口克平の深い経験と広い視点から導き出された「スポークチェア」は、いまなお私たち日本人の暮らしかたに「丁度よい」、普遍的な椅子の名品といえるでしょう。
著者の紹介
笠原嘉人(かさはら・よしひと)
インテリア・プロダクトデザイナー
1961年静岡県生まれ。武蔵野美術大学工芸工業デザイン科木工コース卒業。漆芸家の工房を経てインテリアデザイン事務所に勤務。1996年「笠原嘉人アトリエ」設立。食器・家具・インテリア・建築・環境デザインまでを手掛ける。主なプロジェクトに埼玉県・西川材(杉・ヒノキ)の有効利用のための製品開発デザイン、「君の椅子」2013年度デザイン。東京テクニカルカレッジインテリア科非常勤講師。