「女の椅子・生活で測って創ろう」

モノ・モノ創設者の秋岡芳夫は、暮らしや木工に関する多数の著作を残しています。本コーナーでは秋岡氏の本の中から、現代に通じる提言や言葉を掘り起こし、紹介しています。本稿では身度尺(身体サイズにあわせてモノを作ること)の考え方をもとに、女性が使う椅子の高さについて考察されています。

親子の椅子

椅子も服や下駄のように、男ものと女ものが欲しいのだが、女の椅子は売っていない。箸は男ものと女ものとで作り変えてある。目方もほんの数グラムだが加減してあって、だから女の箸は女によく似合い、男の箸は男に使いやすい。夫婦の椀の径の二分ほどの違いは男と女の掌の大きさの違いをうつしている。椀を男女の掌のわずか数ミリの違いを大切にして作るように、女の椅子を女の好みの寸法に、男の椅子を男の身体に合わせてつくったら、さぞ使いやすくなるだろう。

「なぜ日本の女は子供のゲタを履いて街を歩くのか。踵がゲタから飛び出している。なぜ足と同じサイズのゲタを履かないのか?」と、アメリカの女。「足を小さく見せるためなんですよ。馬鹿の大足と言うコトワザがあるもんですから」とぼく。「ゲタからはみ出しているから足が大きく見えるのに」とアメリカの女。男ものの下駄が手許にあれば、履かせて見せてやればよかった。男ものの下駄を女が履いた恰好がいかにぶざまか。踵の出る小ぶりの下駄の方がどんなに女を美しく見せるか。見較べさせたかったが……。

男の下駄を履いた恰好ほどではないが、女がクッションの利きすぎたアームチェアーにどっかり腰を下した姿は、いただけない。応接間に飾物然と据えてあるソファーやアームチェアーに、心得た女は決して深々とは腰を下さない。ちょこんと座の端っこに尻をひっかけて坐る。肘には凭れない。両手はつつましやかに膝の上。うっかりソファーに沈みこんでしまおうものなら容易には立ち上れないことを女達は知り尽くしている。きれいに挨拶しよう。美しく紅茶をのみたい。そう計算して女達はちょこんとソファーに腰掛ける。

飾りものの応接セットは男も坐りにくい。あれは政治家気どりの男のためのもの。女には全く坐りにくい。女達も、女に休息椅子や応接セットが欲しいだろうに、まだ女専用に作った椅子を見かけたことがない。家族が揃って食事をしているのを見ていると、椅子の背凭れを使っていないのは女達だ。背中と背凭れの間を20センチも開けて座の前の方に掛けている。深く腰掛けると踵が浮くからだ。市販の食堂椅子が素足の女の坐り寸法を無視してつくってあるからだ。街用に作った椅子を家で使うからこうなる。街の椅子は土足用だから靴を脱いで腰掛けるとチビな男の踵も浮く。家で使う椅子は素足向きに、脱いだ靴のぶんだけは低く出来ていないと困るんだが、素足用に作った椅子を売っている家具店を見かけたことがない。どの店にも、並んでいるのは街用、土足用の椅子ばかり。

昼、オフィスで使う椅子なら男もの女ものの区別はいらない。職場の椅子のつくりは、女と男の仕事が似たりよったりになった昨今だから、同じでいい。高さも女がハイヒールで脛を男なみに長くしているから、男女共用の高さでいい。街の食堂の椅子の寸法も男女共用でいい。たかだか3、40分の間に坐る椅子だから、掛け心地もまあまあでいい。だが、家庭で使う椅子は、来る日も来る日も、毎日何時間も、ことによったら一生坐りつづけるものなのだから、とくに女の椅子は女のモノらしく吟味して作らないと女は生活に疲れる。いつまで女達は椅子の端っこにちょこんと腰掛けてくらすつもりなのだろうか。

家で男が欲しがっている椅子なら見当がつくが、女の欲しがる椅子は男のぼくにはよく分からない。「肘のついている椅子なのよ」といった子がいるが、なぜ肘つきがいいんだろう。両肘をついて縫物が出来るからなのか。 新幹線の椅子で懲りてる男は肘つき椅子が嫌いだ。東京発博多行に乗せられて、べったり博多の方をむいたっきりで数時間坐らせられた経験のある男は椅子の肘にうらみがある。こいつがなかったら横坐りも出来ようし、片あぐらもかけるのに。邪魔っけな肘め。

女の子の意見は違う。「新幹線の席には肘が必要なのよ。肘があるから隣の席にデブが坐っても私の席が確保できるのよ」家で男が欲しがっている椅子は肘なしの、あぐらのかける椅子である。席が広々としていて横坐りも出来る椅子である。肘があると、あぐらがかけない。「じゅうたんにじかに坐るの、とてもいい気持ちよ。椅子を脇に引き寄せてよっかかるの、とても楽」そうか、女は椅子を脇息がわりに使うことがあるのか。男のあぐらむきに作った椅子に女が坐ったらだぶん、男の下駄を履いた女のようにぶざまに見えるだろう。女にはやはり小ぶりの椅子が似合いそうだ。女の欲しい椅子と男の探している椅子とはかなり違うらしいから、女の椅子は女につくってもらうとしよう。家で使う椅子はめいめいのものを使うことにしよう。

食事のときの椅子はどこの家のも同じ形、同じ寸法だが、めいめいの椅子を持寄って食事をしたら、団欒になる。囲炉裏端のめしどきのようになる。肘のある椅子、ない椅子。広くてあぐらのかける椅子。ちんまりと横坐りしてさまになる椅子をめいめいに持寄って食事をしたらどうかしら。でも座の高さだけは揃えておかないと、テーブルの上に顔しか出なかったり膝がつかえたりしてさわぎになる。男が坐っても、女が坐っても具合よく食事のできる椅子の高さはないものか。理屈で考えるとあり得ない。人間工学でも割り出せない。身長のほぼ4分の1が椅子の座の高さの適寸だからだ。計算ずくだとノッポの椅子は高くなり、チビの椅子は低くなる。椅子の席の高低がまちまちだと1つのテーブルは囲めない。

実際的に高さ36センチの、女むきと思われる寸法の椅子を実際に十数年使いつづけて見た。計算上では身長140〜150センチの人間にしか合わぬ筈のこの低い椅子に、身長170のぼくも数年坐りつづけて見たんだが、なかなかいける。坐り心地も悪くない。36センチと言えば1尺2寸だ。和室の肘かけ窓の高さだ。子供の頃、窓に腰掛けて遠くの花火を見た覚えのあるあの窓の高さだ。夏、風呂上がりの母が浴衣がけで腰掛けて涼んでいたあの窓の高さだ。雨の日に凭れて庭を眺めたことのある窓高だ。36センチの椅子は日本人の身体に合う椅子高だ。子供もけっこう腰掛けられる高さだった。みんなが坐りやすい椅子はたぶん35〜38センチだろう。

座の高さは揃えても、座の幅や奥行はめいめいに変えるのがいい。奥行の目安は子供で36、女で40、男で45センチにすると、それぞれの身体に合う。座幅は好みだが、ぼくなら60センチにする。上であぐらをかくつもりだから。背凭れを脇の下にかかえこむようにして椅子に横から坐るのが好きな娘は、座幅を45にするといい。子供も坐らせるつもりの小ぶりの椅子なら、座幅は36もあれば十分。 背凭れの座からの高さは好みでめいめいでいいと思うが、ぼくなら、横坐りして腕を背凭れにかけることしばしばだから36にする。ハイバック好きにひとこと忠告。あれは居眠りをするにはいいんだが、夏、暑くるしい。

女の椅子の背も男の背も、凭れと座の間はすかせて置いた方がいい。夏、風が通って涼しい。20センチほど開けておくと、横から坐ったときに凭れと座の隙間に脚が入るから掛けやすい。3つか4つ横にならべてゴロリと寝るつもりなら、肘はない方がいいんだが、部屋の中に1つ2つなら片肘の椅子が置いてあってもいいだろう。

年寄りの椅子には是非肘を。椅子の肘はローマの頃、足腰の弱い年寄りのために工夫してつけ加えられたものだと家具の歴史にある。座は、どちらかと言えば、硬めの方が疲れない。畳に座布団を敷いたぐらいを硬さの目安にしたらどうか。肌に馴染むと思う。シートを置き、クッション式にして、夏冬に取替えたら、日本の風土むきの椅子になる。クッションを、芯に硬い板を入れた作りにして裏表で硬さを変え、夏は硬い方に坐ったら、きっとさっぱりする。夏の布地は涼しげな麻が、冬のはあたたかなウールがいいだろう。狭い家の中にぼくらは居間用と食事用の二種類の椅子を置いている。リビング用とダイニング用とを兼用にすれば、家は広々と使える。

お客さま用の上等の椅子とふだん用のお粗末なのを二種類持ちたがる。「これうちの自慢の椅子よ」そう言える椅子を1つもてばいい。二種類の椅子を使いわけるんなら、素足用と土足用だろう。女の椅子と男の椅子だろう。素足むきの椅子、女の椅子、男のあぐら椅子は注文でないと手に入るまい。高くつくのを覚悟でメーカーに頼んでみることだ。木の椅子なら一品製作が可能である。家庭でも靴を履いているよその国の椅子をなんぼ上手にコピーしても日本人の椅子にはならない。日本人の椅子は日本人の「生活」で測って創るべきだ。

出典・著作の紹介

暮しのリ・デザイン

暮しのリ・デザイン

玉川大学出版部 | 単行本 | 1980

これまで取り上げてきた道具や話題を生活という尺度で測り直すと、また別の物語や提案が出てくるのが秋岡芳夫の発想のすごさだ。「国鉄が捨てたD51型蒸気機関車(愛称:デゴイチ)を拾って、薪を焚いてロクロや帯鋸じゃんじゃん回して木工やって、過疎の地の村おこしやろう」という提案にはじまって、話題はエネルギー問題から包丁の柄のデザインまで縦横無尽に広がる。裏作工芸の発想もこのあたりからはじまった。
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