「男の椅子・肘なしに限る」

モノ・モノ創設者の秋岡芳夫は、暮らしや木工に関する多数の著作を残しています。本コーナーでは秋岡芳夫の本の中から、現代に通じる提言や言葉を掘り起こし、ウェブ上に公開しています。本章では身度尺(身体サイズにあわせて道具の寸法を決めること)の考え方を基準に、男性が使う椅子について考察されています。

男の椅子
イラスト:秋岡芳夫

ぼくの住んでいる目黒には職人が大勢住んでいたから暮らしやすかった。祐天寺脇のだらだら坂を上りつめて駒沢通りに出たすぐのところには、洋家具の修理人がいて表のガラス障子に「椅子の張替致します」と貼紙を出していたが、まだあの店はやっているだろうか。十数年来家族みんなで気に入って使いつづけて来た椅子が寄る年波と言ったらおかしいが、六脚全部が一せいに痛んでしまった。まだ骨はなんともないが座と背の布がボロボロだ。張替えて使い続けたい。もし祐天寺脇の椅子張り職人がいてくれればと願って坂を登って行ったんだが、やっぱりそうだったのか。

すでに廃業していた。たしかここにと思っていたところは赤いコーラの自動販売機を置いた軽食堂に変っていた。どうしよう。この椅子、捨てるのにしのびない。こいつはめしのうまい椅子なんだ。話ははずむし、こんないい椅子、めったにない。「今日はほんとうに結構な椅子を、どうもご馳走さんでした」と誉めてくれた客もいた。布は破れてしまったが骨組は農家のつくりのようにしっかりしていて、木部はすでに黒々と色づいている。濃い茶の杉綾の布にでも張替えたらきっと風格のある椅子に甦る。

でもまあよくもこうなるまで使い続けたものだ。座の真中へんは横糸がすり切れて抜け落ち、残った縦糸はまるですだれだ。芯がすけて見える。背凭れは上部の痛みがひどい。毛糸で何度も何度も繕ったので背凭れはまるで百姓の野良着だ。肩が部厚く刺子になっている。この椅子、みんなにとても好かれている。

居眠りにもいいと、女房。あぐらもかけるしと、ぼく。並べると寝られると、せがれ。母は座が広いから上にあがりこんで坐っている。座が低いからワタシモスワレルと、近所の子にも人気がある。 ところで、気に入っている椅子が痛んだときによその家ではどうしているんだろう。

この間朝のテレビで、まだ使える椅子が沢山捨てられている。東京都の例だと粗大ゴミの約半分(体積で)は家具で、その大半が椅子とテーブルで、ゴミの中で目立つのは、布もしっかりしていて脚もぐらついていない応接セットだと言っていた。捨てる動機は転勤・新築・店舗改造あるいは手狭になったなどだろうが、まだ使える椅子を惜し気もなくゴミに出すほんとうの原因は買損ねだろう。買損ねた経験がぼくにもある。買ってから10年もたつのにああしてほとんど使わないで、部屋の隅に置いてあるあの長椅子も、買損ねた椅子だ。クッションを吟味しないで買ったのがまずかった。軟らかすぎて長時間坐ると疲れる。

もう一つ買損ねた椅子がある。脱いだコートをちょいと引っかけるぐらいにしか使っていないハイバックの椅子も買損ねだ。この椅子は正面向きに坐っているぶんには掛け心地のいい椅子なのだが、横坐りをすると具合がよくない。背凭れが高すぎて腕をかけられない。前向きにしか坐れないのが家族みんなに嫌われた理由だ。部屋の隅で埃をかぶっている。

日本人は椅子生活の経験が乏しいから椅子の買い方が下手だ。日本人の坐業の歴史は長い。女の縫物、男の木工も陶工のロクロ仕事も下駄屋の鼻緒のすげ替えも、みんな畳・板間・土間での坐業だった。いまでもそうだ。家で、女が椅子に腰掛けて仕事をするのはミシン掛けぐらいで、じゃが芋の皮むき、アイロンがけは立ってする。ほとんど椅子は使わない。近頃は全国どこの家でも椅子とテーブルで食事をするようになったが、畳にちゃぶ台、板の間に箱膳の坐る食事の長い歴史に較べたら、腰掛食事の歴史はまだ日が浅い。戦後、やはり椅子テーブルの食事にしてから、2、30年しか経っていない。

戦後初めて日本人が食事をしたテーブルは高さが76センチもあった。ひどく高くて醤油さしをとろうとすれば手前の料理で着物の袖が汚れた。マホー瓶は立ち上がらないと使えなかった。ほぼ30年後の今、食卓の高さはやや日本人向きの低さの70センチほどになったが、まだこの程度では高すぎる。あと10センチ近く脚を切りつめないと日本人むきの食卓にはならない。高さが76センチから70センチほどにわずか5、6センチ低くなるににほぼ30年を要したとなると、あと10センチ低くなるのに一体どのくらいの歳月が必要なのか。10年に1回ずつ古いのを粗大ゴミに出して3センチほどの低いのと買替えたとしてもあと30年はかかる勘定だ。

だが、このダイニングセットよりもっとぼくらの暮しに合わない家具は例の応接セットだ。あのテーブルの高さは中途半端だ。客に呼ばれてあのセットで、寿司ならまあまあだが、天麩羅でも出されようものなら降参だ。料理に手がとどかない。たべこぼす。少しでも食物に近づこうとソファーの先端に尻を移すと膝がテーブルに当る。失礼して脚を八の字に開くことになる。皿料理の洋食をナイフとフォークで出されたらもうどうしようもない。応接セットで食事をするのが間違いなのだが……。

トヨさんの椅子

いまの応接セットの作りは日本人の習慣と食事と気候に合わない。あちらもののコピーの域を脱していないからだ。使いこみが足りないからだ。買い方も良くない。ふだんの椅子、家族の団欒用のものとして買わないで、応接専用に買っているのがいけない。テーブル高を軽食ぐらいなら出来る高さに訂正し、ソファーのクッションは硬めに作り直す必要がある。応接セットの椅子はぼくの家の椅子のような食事用にもテレビ用にもゴロ寝にも兼用できるのに買い直したらどうか。

ぼくの家のはこんな作りだ。座は硬め。硬さは畳の上に座布団を敷いたぐらいの硬さだ。座は広くて小座布団なみ。あぐらがかける。二つ並べるとゴロ寝も出来るからソファーはいらない。肘はない。背は低くて、横向きに坐ったときに腕がいい按配にかかる高さだ。座と背の間がかなり空いているから夏にはそこを風が通るので涼しい。座と背と肘を一体に張りくるんだソファーがあるが、あれは冬にいいんだが、夏、尻の辺がむれて日本の気候には合わない。

ぼくの家の椅子は後向きにも坐れる。後を向いて馬にまたがった恰好で坐り、胸を背凭れにあずけて、腕を背凭れの上に組んであごをのせると、テレビの深夜劇場なんぞを観るのにまことに具合がいい。横向き、斜、後向きにも坐れるから疲れない。いろいろな坐り方が出来るから疲れない。ぼくの家ではこの椅子を朝昼晩十数年使い続けたので痛んだ。痛んでしまったが、この椅子は捨てられない。

これに替わる椅子がまだ見つからない。同じ型との買替えも20年前の製品だから製造中止で無理だろう。大学に通っている一番下の子はこの椅子だけで育った。食事もこの椅子、テレビもこの椅子だった。もしこの椅子が変ったら、きっと生活の調子が狂うだろう。せがれのためにも張替えて使いつづけたい。

と思ってある新聞に、「だんだんぼくの町は暮しにくくなって行く。職人が一人、また一人と減って行く。こんどは椅子張りの職人がいなくなった。なんとかして町に職人を残せないか」と、職人技術ーコミュニティの生活技術の復古を訴えた記事を書いたら、助かった。ぼくの家族も椅子たちも。思いがけず、遠くの町から「わたしに繕わせて」と電話がかかり、車で椅子張りの職人が来てくれた。

日ならずして、刺子の椅子は杉綾のこげ茶色の真新しい布に張替えられてもどって来た。「いつでもまた繕いに来ますよ」そう言って届けてくれたが、さて、あと10年、あるいは20年後にまた張替えに来てくれるかどうか。

この椅子は、張替えながら使えば100年はもつ。作りがいい。材は楢。枘組(ほぞぐみ)がしっかりしている。山形の天童木工の製品だ(注:現在はモノ・モノが製造)。20年間使いつづけて見飽きることがなかった。先輩の豊口克平さんの50代のデザインだ。張替えてくれた町工場は、立川にあった。

参考に椅子の各部寸法を書いておく。座の幅は60。奥行50。高さは坐って圧を加えたときに床から計って36センチ。クッションの厚さは3センチ。座面の傾斜は約4度。

背。高さは座面から40。幅57。座と背の隙間、約20センチ。ちなみに、この椅子と組んで使っているテーブルの高さは、61センチ。椅子とテーブルの差尺は25センチ。幕板なしの構造だ。

出典元・著作の紹介

暮しのリ・デザイン

暮しのリ・デザイン

玉川大学出版部 | 単行本 | 1980

これまで取り上げてきた道具や話題を生活という尺度で測り直すと、また別の物語や提案が出てくるのが秋岡芳夫の発想のすごさだ。「国鉄が捨てたD51型蒸気機関車(愛称:デゴイチ)を拾って、薪を焚いてロクロや帯鋸じゃんじゃん回して木工やって、過疎の地の村おこしやろう」という提案にはじまって、話題はエネルギー問題から包丁の柄のデザインまで縦横無尽に広がる。裏作工芸の発想もこのあたりからはじまった。
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