低座椅子の系譜・その1「低座の椅子はいかにして生まれたか」

名作椅子の歴史にくわしいデザイナー、笠原嘉人さんによる連載記事。座の暮らしの延長上に生まれた、日本独自の低座椅子について、歴史的な成り立ち、座面高による用途の違いなどが解説されています。

文: 笠原嘉人(プロダクト・インテリアデザイナー)

トヨさんの椅子
トヨさんの椅子(初号1955年・豊口克平デザイン)・モノ・モノ撮影

椅子座と床座の間にある、日本人特有の家具デザイン

「低座の椅子」を一言でいえば「日本人とその暮らし方を考えた椅子」ということになるでしょうか。椅子は明治の文明開化と共に日本に導入され、西欧的な生活を取り入れることが日本の近代化とイコールであった時代、その生活様式とセットで、そっくりそのまま移植されたのです。

日本はそれまで床へ直に座る生活を基本としてきました。日本の多湿な気候のなかで快適な空間を得るには建物の床を地面から離す必要があり、またその床を清潔に保つため履物を脱いで床に上がる、という習慣がかたち作られてきたのです。日本の住宅建築はそれに順じ、その「床座」の暮らしが「所作」や「しつらい」といった独自の生活文化を育んできました。

当然、椅子座と床座の間には齟齬(そご)が生じ、結局、「床座」の生活を捨てきれなかった日本人の暮らしは、大きな矛盾を抱えることになりました。これを解消するための試みは、現在までいくつかなされています。例えばモダニズムデザインにいち早く注目し、大正から昭和にかけて多くの名建築を残した建築家・堀口捨巳は、一軒の住宅に一本の境界線を引き、こちら側を洋間に反対側を純和風に仕立て、生活スタイルを完全に分けるという方法をとりました。

小出邸外観
小出邸外観(1925年・堀口捨巳設計)・著者撮影

人間工学的アプローチで低座を検証した豊口克平

 

椅子そのものを日本の暮らしに適った形にする試みは「形而(けいじ)工房」の活動が最も早いものでしょう。1928年、東京高等工芸学校(後の千葉大学工学部)講師だった建築家・蔵田周忠とその教え子を中心に、ドイツのバウハウスの影響を受け結成されたこのグループは、「椅子を使う生活によって住生活を健康的・衛生的に改善する」という目標を掲げ調査と研究を行います。

当時の日本人男女の体格の平均値から数式を割り出し、それを椅子の設計に当てはめるという、現在で言うところの人間工学の概念をいち早く取り入れ、また和室で使用しても畳を傷めないように脚をソリのような形にする“畳摺(ず)り”の工夫を施すなど、日本の生活者の視点からの近代的デザインを数々試み、これを日本の「標準家具」として提案します。

この「形而工房」の中心人物の一人に豊口克平がいました。日本のインテリアデザインと工業デザイン両方の草分けと言われる豊口は、1955年「トヨさんの椅子」を発表します。座面高さ36㎝、その上であぐらもかけるという、海外の椅子のどのカテゴリにも属さない低く広い独自のプロポーションを持った「トヨさんの椅子」は、「低く暮らす」という日本人の暮らし方にもう一歩深く踏み込んだ提案をかたちにしたものでした。豊口を敬愛していた工業デザイナー・秋岡芳夫は、この「トヨさんの椅子」を終生愛用し、豊口のスタイルと理念を受け継いで、後に「女の椅子(現・親子の椅子)」と「男の椅子」をデザインします。

形而工房の椅子
形而工房の椅子(初号1935年・武蔵野美術大学美術館図書館所蔵)・著者撮影

ジャパニーズデザインとしての低座椅子

「低座の椅子」にはもう一つの系譜があります。近代建築の巨匠ル・コルビジェは、マスターピースと言われる名作家具を数多く残したことでも知られていますが、コルビジェの指揮のもとに家具デザインを手がけたのは女性デザイナー、シャルロット・ペリアンでした。

同じくコルビジェに師事し、神奈川県立近代美術館などの設計で知られる建築家・坂倉準三は、パリのコルビジェのアトリエでペリアンと共に働きます。坂倉は帰国後、当時の商工省から輸出工芸指導のために外国人デザイナーを招聘(しょうへい)したい、という相談を受けて縁のあったペリアンを推薦、1940年にペリアンは来日します。

翌41年には坂倉が協力してペリアンの日本での作品展を開催、この時にペリアンが日本独自の素材として藁(わら)を使ってデザインした椅子に刺激を受けた坂倉は、1948年「竹籠座の低座椅子」を制作します。適度なクッションが得られる竹の編籠を座と背に用いたのはペリアンのアイディアであったとも言われていますが、高さ22.5㎝という低い座面と“畳摺り”を持つこの椅子は、床座の暮らしと共存するためのひとつの試みであり、インターナショナルスタイルを日本の生活にあわせて上手に変化させた好例でもあります。

竹篭バスキュラント
写真右が竹籠座の肘付安楽椅子(初号1948年・武蔵野美術大学美術館図書館所蔵)・著者撮影

後の1958年、坂倉のアトリエの所員だった長大作は「竹籠座の低座椅子」をリ・デザイン、竹篭の座と背を、丸みを帯びたウレタンクッションに置き換えた椅子を製作します。これは八代目松本幸四郎邸の設計を担当した際、和服を着た女性が和室で寛げるような椅子を、というリクエストに応えたものでした。長はこの椅子をさらにブラッシュアップして1960年のミラノ・トリエンナーレに出品、これが今もなおロングセラーとして支持されている「長さんの低座椅子」となるのです。ちなみにペリアンはその後約2年日本に滞在、柳宗理や剣持勇らとも交流し、日本の生活デザインに大きな影響を与えました。

長さんの低座椅子
低座椅子(初号1960年・長大作/坂倉準三建築研究所) ・モノ・モノ撮影

玄関で靴を脱ぎ、清浄な床に座って暮らす。そうした日本独自の生活文化に、西欧からやってきた椅子の文化を取り入れることで、日本人の暮らしをより快適なものに進化させたい。「低座の椅子」はその課題に真摯(しんし)に取り組んだ建築家やデザイナーたちが生み出した、ひとつの成果と言えるのです。次回の連載では、「低座の椅子」の座面高による機能の違いを解説します。

著者の紹介

笠原さん

笠原嘉人(かさはら・よしひと)

インテリア・プロダクトデザイナー

1961年静岡県生まれ。武蔵野美術大学工芸工業デザイン科木工コース卒業。漆芸家の工房を経てインテリアデザイン事務所に勤務。1996年「笠原嘉人アトリエ」設立。食器・家具・インテリア・建築・環境デザインまでを手掛ける。主なプロジェクトに埼玉県・西川材(杉・ヒノキ)の有効利用のための製品開発デザイン、「君の椅子」2013年度デザイン。東京テクニカルカレッジインテリア科非常勤講師。

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