このトヨさんの椅子と出会ってから、かれこれもう25年。つき合い始めて20年。これからもずっとこの椅子に座り続けるつもりです。
20年間、自宅で座ったのと、15年間事務所で使ったのと、これからつかおうと、リ・デザイン中のを3脚並べてご覧に入れます。
仲間からトヨさん、トヨさんと親しまれているデザイナーの豊口克平さんは、近代デザイン運動の先駆だった型而(けいじ)工房で活躍。戦後は通産省の産業工芸試験所でいち早く椅子の人間工学的な研究に取り組み、積雪に尻餅をついてお尻の形を観察したり、金網製の椅子の座り心地の実験装置で人間と椅子の関係寸法を採寸したり……。
ところで工学的にデザインされているはずのトヨさんのこの椅子、妙にあたたかくてやわらかで、工学の冷たさ硬さは裂地(きれじ)に張りかくさされていて全く見えません。畳のように自由です。体に合う、と言うよりは暮しに合う椅子、といった椅子です。
この椅子との出会いは25年程前、トヨさんの自宅ででした。「畳の部屋で使う椅子なんだ。畳に座った人間と椅子に腰掛けた人間が、違和感なく話し合えるように考えた」とトヨさん。座の低さにびっくりした出会いでした。
ぼくの知る限りでは、これは素足で使うことをはっきり意識して創られた初めての椅子です。まる20年、トヨさんの椅子で暮しました。食事と育児と仕事と休息に使いました。明治生まれの母もこの椅子にだけは喜んで座りました。
写真右端は家族みんなで使い込んだ20年目の椅子です。木部の楢(ナラ)は良い按配に色づいています。1回裂地を張替えました。山形のメーカーまで送る手間と費用を省き、東京の町の張替屋さんに頼んで…。座の裂地ですれて薄くなり、老化してもろもろになった芯のクッション材がすけて見えるようになりましたから。背もたれ上部が切れ、繕いきれなくなりましたから。裂地は色づいた木部に合わせて濃い茶色に張り替えました。
中央は15年目のトヨさんの椅子。事務所の会議室で使い、1回裂地を張替えたもの。この椅子、みんなから「徹夜椅子」だの「あぐら椅子」だのあだなをもらっています。これでなら徹夜の会議もOK、疲れない、と言うわけで「徹夜椅子」のあだながつきました。座幅が滅法広くてあぐらも楽々なので男達からは「あぐら椅子」の愛称が。
一杯機嫌で、「あぐら椅子ってことはだな、日本の椅子ってことよ。世間の椅子はどれもこれもけしからん、あぐらもかけねえケトウ椅子ばっかり!」と言い放った男もいたりで、みんなに好かれ欲しがられた椅子ではありましたが、もう買えません。山形のメーカーが製造を中止しましたので。
惜しまれながら製造中止になったこの椅子、トヨさんも惜しんで「キミ、やたらとボクの椅子賞(ほ)めてくれるけど、20年も座ったんだから欠点も見つかったろう、任せる、リ・デザインしてどっかに作らせてよ」
ではと、トヨさんの椅子のリ・デザインをして試作してみたのが左端。トヨさんのは、高い棚の上のものを取ろうとして踏台がわりに使うと、脚が内側すぎてひっくり返る欠点がありましたので、写真のように脚を外に出しました。背もたれが立派すぎて夏は暑苦しかったので小さくして風通しをよくしてみましたが、貧相になりました。背のリ・デザインはどうやら失敗。再試作します。座面高は思い切り低くしてみました。より素足むきに。女性にも座れるようにと思って。
トヨさんの椅子の良さを、世間一般の椅子に取り入れたらいいのにと思います。良さは、低い座の良さ。玄関で靴を脱ぐ暮しに合う素足むきの座面高の良さ。座面高が男寸法の椅子に女は掛けづらいけど、女寸法の椅子には男も座れるという、女優先男女兼用の椅子の良さ。肘なし椅子の良さ。肘があると横座りもあぐらも、駄目。肘なし椅子だと休息姿勢をさまざまに変えられますから疲れません。張替えられる構造。20年、50年、椅子は愛用しつづけるものなので。
※本文中で紹介された椅子は、モノ・モノのオンラインショップで購入できます。ー「豊口克平・どっしり座れるトヨさんの椅子」(低座の椅子と暮らしの道具店)
出典元・著作の紹介
『いいもの ほしいもの』
新潮社 | 単行本 | 1984
成熟しきった工業化社会に辛うじて残っている手仕事を紹介するエッセイ集。刃物用のダイヤモンド砥石を「手作り」している大工場、ポケットナイフを「機械で手作り」している親子鍛冶、一人一人に合わせて作る身障者用の椅子……。うれしい工作はこんなにある。健全な手作りとは、工作しながらの作業だと秋岡は説く。産業ロボットには作れない、いいもの・ほしいものを全36点掲載。実物の写真も豊富で見応え十分だ。
こちらの本はAmazonでご購入できます。
※本ページの掲載記事の無断転用を禁じます。当社は出版社および著作権継承者の許可を得て掲載しています。
※掲載箇所:「いいもの ほしいもの」 P165-169