オケクラフト・作り手リレー連載(5)宮嶋真木夫

2018年6月1日から約2週間にわたってモノ・モノで開催された「オケクラフト展 in Tokyo」。イベント開催にあわせて出展者の紹介をリレー形式で行います。連載5回目は東京から北海道・置戸町に移住、木製のフォトスタンドやトレイを製作する宮嶋真木夫さんが担当しています。

文: 宮嶋真木夫(木工職人・工房スノーグース代表)

宮嶋さん
工房での作業風景。木工ロクロの仕事は性にあわなかったため、現在はもっぱらインテリア雑貨を製作している。

研修生募集の記事を見て、北海道へ移住を決意

私は東京生まれの東京育ちです。農学部卒ながら就職したのは、放送機器用電子部品メーカーの技術部というのがちょっと変わっているくらいで、普通に会社員として働いていました。

しかし、入社4年目くらいから次第に人に使われる立場に嫌気がさし、さりとて独り立ちできるようなスキルも資格もなく、悶々と過ごす日々を送っていました。そんな私の人生が大きく変わることになったのは、北海道好きの友人が持っていた雑誌で「オケクラフト研修生募集」の記事をたまたま目にしたことでした。

もともと、ものづくりや木工は好きだったので、研修奨励金をもらいながら木工を学べるオケクラフトの研修制度は魅力的に思えました(現在、奨励金制度はありません)。そんなわけで、北海道にそれまで一度も行ったことのなかったにもかかわらず、記事を見て1ヶ月後には置戸町のオケクラフトセンター森林工芸館で面接を受けました。運よく研修生として採用が決まり、1994年4月から3年間の研修がスタートしました。

会社員時代は電子部品の設計を担当していたため、「公差(許容される誤差の範囲のこと。例50±0.2mmなどと標記する)のない図面は図面じゃない」と教えられていましたが、オケクラフトの図面にはそんな概念はありませんでした。公差がないということは、それまでの知識では「50mmと書いてあっても100mmでも構わない」ということで、これはとんでもなくアバウトな世界に入り込んでしまったと驚いた記憶があります。もちろん、50mmが100mmでもよいわけはないのですが、よい意味での「適当」な感覚を習得するのは苦労しました。こんな図面標記の違いや、東京と北海道の生活週間の違いなどに戸惑いながらも、多くの人の温かさに支えられて研修を受けました。

研修が始まった1994年は、置戸町ではちょうど秋岡芳夫先生の考えを基本とした施設「どま工房」がオープンした年でもあります。そのため、秋岡先生も何度も置戸にいらして、私達研修生は、どま工房のテーブルや棚などの備品の製作も担当させいただきました。

秋岡先生からは工芸やものづくりのお話をいろいろと拝聴したはずなのですが、大変失礼なことにあまり印象に残ったことはなく、秋岡先生というと、このどま工房やその備品に対しての時にはわがままとも思えるほどの注文や意見、そして夢を語っている姿が思い出されます。とことん追求する姿勢を学んだような気がします。

研修1年目は、木工の基礎学習、どま工房の備品作りでほぼ終わりました。2年目に入るころからようやくメインの木工ろくろの研修が始まりました。やってみるとどうも感覚的に私には合わなかったことと、丸くないものを作りたいという気持ちが強くなり、2年間で研修を中退させてもらうことにしました。

宮嶋さんの作品
カエデやサクラなど北海道産の広葉樹を使ったフォトスタンドやトレイが代表作。

第2の修業先を求め旭川市の木工メーカーに就職

置戸町での研修は中断しましたが、木工の修業を続けたいという気持ちは強くありました。その熱意を買ってもらい北海道旭川市の木工品メーカーに就職することができました。置戸町で2年間の研修を受けていたものの、その程度の知識と技術では、実際の現場では役に立たず、働きながらメーカーの仕事のやり方をいちから学びました。

ようやく木材や木工機械の扱いが出来るようになったと感じ始めた頃、置戸で工房として使える物件が見つかり、2001年の夏に「工房スノーグース」を設立。個人事業主として再スタートしました。

独立してしばらくの間は、以前の職場から仕事をもらって掛け時計やトレイなどを製作していましたが、リーマンショック以降、北海道内の不景気の影響もあって次第に下請け仕事が減り、現在はフォトスダンドやトレイ、ウォッチスタンドなどの自社オリジナル商品だけで工房を運営しています。2010年にはレーザー加工機も導入し、それで作る木のしおりはヒット商品になっています。

下請け仕事が多かった頃は、「利益が薄いし、人のデザインはつまらない」と思っていましたが、今思えば大変勉強になったし、秋岡先生の表作と裏作の考え方に近いスタイルだったのかなと思います。オリジナル100%の現在のほうが、仕事に追われている感が強く、創造力も落ちているような気がして、これではいけないと、現在密かに次の一手を模索中です。

私の作る品物は「旭川のクラフトっぽいね」といわれることが多いのですが、旭川の人には「溶けたようなデザイン」といわれることもあります。三つ子の魂百までといわれますが、それはきっと私にとっての最初の木工の師匠が、時松辰雄先生であることがいまだに影響しているように思います。やはり旭川流のきりっとしたデザインより、時松先生のやわらかな優しいデザインが身体に染みついています。ですが、まだまだ未熟です。溶けたようになめらかで、つい触りたくなる、そんなふうに皆さんに思っていただけるようなデザインを目指したいと思います。

宮嶋さんの工房
工房は、酪農家の牛舎だった建物を改装して工房にした。

著者の紹介

宮嶋さん

宮嶋真木夫(みやじままきお)

木工職人・工房スノーグース代表

1966年東京都生まれ。玉川大学農学部卒業後、電機メーカーで高周波コネクターの設計を担当。1994年にオケクラフト職人養成塾の研修生となるため置戸町に移住。2年間の研修を受けたのち中退。1996年に北海道旭川市の木工メーカーに入社。同社退職後、2001年に置戸町で工房スノーグースを設立。カエデ、サクラ、クリなどの広葉樹を使ったフォトスタンド・トレーを主に製作する。

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