「ニーチェアX」デザイナー 新居猛さんという人

折り畳み椅子の傑作といわれる「ニーチェアX」は、1970年に故・新居猛(にい・たけし)さんによって生み出されました。名作の誕生にはどのような背景があったのでしょうか。家具の歴史に詳しい島崎信さん(武蔵野美術大学名誉教授)の著書『日本の椅子』の中から、作り手の人柄やデザイン誕生のストーリーを紹介します。

文: 島崎信(武蔵野美術大学名誉教授)

ニーチェアX

新居猛(にい・たけし)さんは、明治時代から続く剣道武具屋の三代目として、徳島県徳島市に生まれた。子供のころから家業を手伝い、リアカーに材料を積んで、縫製や刺し子(刺しゅうをしてくれる内職)のところまで運んだりしていた。長男だった新居さんは旧制中学を卒業後そのまま家業を継いだが、販売だけでなく製造に携わってきたことが、のちの椅子づくりに役立ったと語っている。

1945年にGHQによって剣道が禁止され、新居さんは生活のために県の職業補導所木工コースで、木工技術を学ぶ。食堂のおかもちや薬局の棚をつくっていたが、戦前に見た映画や雑誌に掲載されたディレクターズチェアに興味を持ち、つくってみたのが椅子づくりの始まりとなった。

北欧の機能主義にも感銘を受け、安く、良いものを提供するという姿勢で、85歳になった現在でも海外に出て見聞を広めている。

日本から世界に輸出されている椅子で、純然たる日本人デザイナーによるデザインで、極めて日本的な成り立ちを背景に持つ椅子といえば、ニーチェアXをおいて他にはあるまい。1972年の発売以来、実に80万脚が、世界各国に輸出されている。日本の美術教科書にまで掲載されたこの椅子が、徳島の剣道武具屋で家内生産的につくられていると知ったら、誰でも驚くに違いない。

実は、新居さんと私のおつき合いは1960年まで遡る。1958年にデンマーク王立芸術アカデミーの研究員として派遣された私は、研修先のコペンハーゲン市立技術研究所で木工技術の研究も行っていた。指導教授であったボーエ・イェンセン氏は、デーニッシュ・ファニチャー・コントロール(デンマーク家具の品質を管理する委員会)の主任検査官であり、またマイスターとしてデンマークの有名家具メーカーで働いた経歴を持っていた。

私はそのイェンセン氏に、中小企業庁からの招聘を仲介し、日本各地の家具産地を回り、指導、講演する氏の通訳として、3週間同行することとなった。そのとき訪れた徳島で、私は新居さんがつくった椅子を初めて目にした。それはアルミ製の脚を持つ軽量な折り畳み椅子で、日本にもこういうデザインができる人がいるのだ、と強い印象を受けたことを覚えている。

翌年、新居さんが私の事務所を訪ねて来られ、自分の椅子の名前を考えていると言われた。私はデンマーク語のNY(ニュイ)=「新しい」と新居さんの名前をかけて「ニーチェアはいかがですか」と申し上げたところ、大変気に入っていただいた。

「私もイームズがやっているように、本当は合板やプラスチック、アルミダイキャストといった最新技術を駆使した本格的な椅子をつくってみたい。それは私にとって手の届かない贅沢ですが、考え方だけはイームズにも劣らない、椅子としての機能を追求しているつもりです」―これは、雑誌として初めて新居さんとニーチェアを紹介した『美術手帖』(1966年7月号)の取材で新居さん自身が語っている言葉だ。私は、座りやすい椅子を無駄なお金をかけずにつくるという、1950年代から一貫した新居さんの信念に大いに共感するのである。

右がニーチェアX・デザイナーの新居猛氏。左が本稿著者の島崎信氏。
右がニーチェアX・デザイナーの新居猛氏。左が本稿著者の島崎信氏。(写真提供:有限会社島崎信事務所)

私は良い椅子の条件を5つ定義している。

1. 座りやすいこと
2. 丈夫なこと
3. 軽いこと
4. 価格が妥当なこと
5. フォルムが美しく、魅力的なこと

私が長年研究しているウィーンのトーネットの曲木椅子は、見事にこの5つの条件を満たしている。そしてニーチェアも5つの条件を満たし、さらに折り畳んだときの美しい姿や安定感という6つめの美点を兼ね揃えている。

ニーチェアは座ったときの荷重でX型の脚が広がり、常に張り地にテンションがかかる構造となっているため、キャンバス地の椅子にありがちな張り地の弛みによる座り心地の悪さは、使い込んでいっても表れないのである。また床と接する脚がU字型なので、荷重が分散され、畳や絨毯を傷めることがない。

こうした工夫の数々は、新居さんが苦労して考案したものである。ところが一度発表されると、そのアイディアを真似た製品が出回るようになる。特にニーチェアXの意匠権が切れたころから、それは頻発している。

ニーチェアに酷似した椅子を掲載した日本国内の通販会社に、新居さんは著作権侵害の謝罪広告を出すように求め、京都地裁に訴え出たが「著作権法上の美術とは、原則としてもっぱら鑑賞の対象となる純粋美術のみをいう」として却下された。デザインの学術的著作権を申し立てて大阪高裁にも上告したが、地裁同様、法規上の美術の解釈を繰り返すだけの結果に終わった。

デザインという言葉がこれほど一般化した現在、著作権法の中にデザインという文言はない。これが日本のデザインの現状であることを、新居さん同様、私も大いに憂えるのである。

出典:『モダンクラシックの椅子とデザイナー 日本の椅子』(誠文堂新光社・2006年) P68~72

※新居猛がデザインした「ニーチェアX」「ニーチェアXロッキング」を、低座の椅子と暮らしの道具店(モノ・モノのオンラインショップ)で販売しています。

著者の紹介

島崎 信(しまざき・まこと)

島崎 信(しまざき・まこと)

武蔵野美術大学名誉教授

1932年東京都生まれ。1956年東京藝術大学卒業後、東横百貨店(現東急百貨店)家具装飾課入社。1958年、JETRO海外デザイン研究員として日本人ではじめてのデンマーク王立芸術アカデミー研究員となる。1960年、同建築科修了。『一脚の椅子・その背景』(建築資料研究社)など著書多数。北欧建築デザイン協会理事、日本フィンランドデザイン協会理事長

 

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