女には 女の椅子(現・親子の椅子)

工業デザイナーの秋岡芳夫は、暮らしや木工に関する多数の著作を残しています。モノ・モノでは秋岡芳夫の本の中から、現代に通じる提言や言葉を掘り起こし、ウェブ上に公開しています。本稿では、秋岡芳夫がデザインした親子の椅子(旧・女の椅子)誕生のストーリーが書かれています。

文: 秋岡芳夫(工業デザイナー)

親子の椅子
本文中の椅子は、現在「親子の椅子」という商品名で販売しています。旧タイプの「女の椅子」と基本的なデザインの変更はありません。

家で使う椅子は、街で腰掛けている椅子と同じでいいのでしょうか。違うところが3つないといけないのでは……。

違いの一番目は、座面高。家で使う椅子の座面高は、玄関に脱ぎすてた靴の踵(かかと)の高さぶん、街の椅子より低くないといけません。

千人か万人に一人の割で、わが家に帰ってからも、ベッドインするまで靴を履きつづけている変な日本人もいるらしいけれど、なみの日本人なら、やれ今日の仕事も終ったぞ、やっとわが家に帰ったんだと、素足の感覚でも実感したくて、玄関で靴を脱ぎます。そして居間で靴下も脱ぐのです。靴を脱ぐと、わが脚は街を歩いていた時より短かくなります。靴の踵ぶんだけ短かくなったその脚で腰掛ける椅子の座は、街の椅子より低くないと困るはずです。

違いの二番目は、性別。街の椅子の座の高さは男寸法でいいのです。座の高い椅子にも女は快適に腰掛けられます。脛(すね)をハイヒールで男なみに長くしていますから。バスのシートの高さも喫茶店の椅子も劇場のシートも、街の椅子は男むきの高い座でいいのです。

けれど、いったん家に帰り、玄関でハイヒールを脱ぐと、彼女たちの脛の長さは、そうなんです、生まれながらの長さに縮んでしまいます。部屋で、殿中松の廊下の浅野内匠頭のようにスラックスを引きずって歩くのが嫌で、女たちは玄関でハイヒールを脱いだあとスラックスの裾をたくしあげるのです。

靴を脱いで、生まれながらの脚にたちかえった彼女たちは、街の椅子よりも、脱いだ靴のヒールぶんだけ座の低い椅子が必要になります。外国では全く必要のない女の椅子が、素足ぐらしの日本では絶対必要なのです。

ある日ある時そう気づいたわたしは、女房の椅子の脚を、鋸を持ち出してゴシゴシ、彼女の脚に合わせて切り始めました。女の椅子に改造するために……。脚を切りつめる前の椅子は、男のわたしには結構な掛心地の椅子でした。座面高は43センチでした。その脚を、わたしより20センチ低い、身長152センチの彼女に合わせて、5センチ切りつめました。

5センチ切りつめたとたんに椅子は、めっきり女の椅子らしくなりました。見違えるほど掛心地がよくなったわと喜ぶ彼女に、ちょっと貴方もといわれて試しに腰掛けてみてびっくり、なぜなのでしょう、男のわたしが座ってもしっくりなのです。

女寸法の座の椅子に、なぜ男が座ってしっくりなのでしょう。男寸法の座の椅子に、丈の低い女が腰掛けたら、踵が浮きます。なのに、なぜ男は女の椅子に坐れるのでしょう。大は小を兼ねるといいますが、椅子の座だけは例外で、低が高を兼ねると初めて判って、大発見でした。

街の椅子に性別は無用です。けれど家の椅子には絶対必要。女には女の椅子が、と思いこんでいましたら、どうやら家で使う椅子は、すべて座面高に限っては女寸法でいいと判り、しからばと家じゅうの椅子の脚を全部女寸法に切りつめてしまいました。

違いの三番目は、椅子の一脚多用性。ホテルの椅子は、ロビーのふかふかのイージーチェアーかソファー。ダイニングルームのはアームつきの小椅子。そしてルームチェアーはベッドサイド風で、部屋ごとに用途別のつくりと寸法です。いずれも専用。それを真似て、かつてはわたしの家でも椅子は、リビング用とダイニング用と勉強用とがそれぞれ違っていましたが、そうでなくとも狭いわが家が沢山の椅子で足の踏場もなくなって、困り果てた揚句、写真のような、一脚多用型の椅子だけを使って部屋を広々と使うことにしました。この椅子は旭川の家具デザイナーの田中君と、わたしとで工夫して創りました。

座の高さは女むきにデザインしましたが、大きい方の座の広さは、男むきに、あぐらをかけるように広々と創りました。男のあぐらむきにつくりましたら思いもかけず、女と子供が二人掛け出来る椅子になりました。小さい方の椅子は子供が持運べる重さになりました。この小さい椅子一つと大きい椅子二つを横一列に並べると、昼寝も出来そうな長椅子になります。

わたしの家のワンルームにはいまこの一脚多用型の椅子が、大小9脚置いてあります。家族揃ってこの椅子で食事をします。テレビもこの椅子で観ています。お客さまもこの椅子です。勉強も裁縫も。家族もですが、息子たちの友達も、客も、みんなでこの椅子を賞(ほ)めてくれます。

※本文中で紹介された椅子は、モノ・モノのオンラインショップで購入できます。ー「秋岡芳夫・組み合わせて使える親子の椅子」(低座の椅子と暮らしの道具店)

出典元・著作の紹介

いいもの ほしいもの

『いいもの ほしいもの』

新潮社 | 単行本 | 1984

成熟しきった工業化社会に辛うじて残っている手仕事を紹介するエッセイ集。刃物用のダイヤモンド砥石を「手作り」している大工場、ポケットナイフを「機械で手作り」している親子鍛冶、一人一人に合わせて作る身障者用の椅子……。うれしい工作はこんなにある。健全な手作りとは、工作しながらの作業だと秋岡は説く。産業ロボットには作れない、いいもの・ほしいものを全36点掲載。実物の写真も豊富で見応え十分だ。
こちらの本はAmazonで購入できます。

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※掲載箇所:「いいもの ほしいもの」 P160〜164

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