「モノとモノとの関係のデザインを、夜の脱グループプロジェクトで」

グループモノ・モノの設立経緯や活動内容について、1972年に秋岡芳夫がデザイン誌『工芸ニュース』に寄稿した原稿のアーカイブ。「モノとモノとの関係を、脱グループのモノたちのエゴイズムなしの発想やデザインや製作でやろう!」という提案のもと、プロジェクトチームの結成が声高々に宣言されています。

文: 秋岡芳夫(工業デザイナー)

失礼な商品が見逃されている

車にのった人間が平らな道をスイスイと走り、歩行者が曲がりくねった横断歩道橋をヨイショヨイショとあきらめ顔で渡って行くあの悪名高い横断歩道橋をはじめ、ルームクーラーとか、飲めるんだか飲めないんだか一向わからぬ湯の出る瞬間湯沸器とか、随分失礼な商品が平気で売られ、そして平気で使われている。

窓のすぐ前に隣の奴がクーラーをとりつけたらどうなるか。夏の暑い日に四六時中つづくあの騒音と、なまあったかい汚れた排気。考えただけでも不愉快だ。クーラーぐらい失礼な商品も珍しい。窓をしめたらむし暑い。買わなきゃ暑くてやり切れぬ。デザインがまた失礼千万だ。部屋の中に向いてる方は金銀木目で金をかけておきながら、隣や通行人に向いてる方はただの鉄板一枚の手ぬきデザインなんだから……。

クーラーはエゴイズム商品だ。ドレーンパイプからきたない水をたれ流しておきながら、部屋の中の奴は冷しい顔をして暮らしている。 買ってくれた客には静かな音と高原の涼しさとインテリアムードのデザインでサービスしておきながら、隣人や通行人には、排気音、モーターの回転音、ドレーンのたれ流しで失礼をして平気な顔をしているメーカーや設計者やデザイナーのエゴイズムが見逃されている。

ビルのクーラー、車のカークーラーと一緒に、ルームクーラーが夏の暖房装置でもあることが見逃されている。基本的欠陥が見逃されている。それと知っていながらそれを改めない奴のエゴイズム、それと知って平気で使う奴のエゴイズム、失礼をされながら文句一ついわぬあきらめ野郎のエゴイズム。困ったことだ。本当に失礼しちゃう。皮肉をこめて、この失礼商品の法規制原案を書いておく。

騒音規制・内側と外側の騒音の質量が等しいこと。○○ホーン以下とする。
取付位置規制・隣接家屋の窓から○米以上離して取りつけること。
排水規制・蒸発方式としドレーン方式は禁止
排気規制・温度○℃以下の純度の高い空気であること。
皮肉をこめて今一つ、建築家とIDデザイナーとがチームを組んでプロジェクトしたクーラーを紹介しておく。
外観(屋外側)と室内側のデザインが同じウエイトでなされている。

ついでに、歩行者が設計した横断歩道橋のデザイン。一 歩道橋に階段がない。水平エスカレーター式。車はその下の路面を掘り下げて走る式。自動車工業会が建設した。
失礼な装置、失礼な商品を見つけたら、どうしたら失礼でなくなるか、みんなで考えよう。考えるだけでも実に愉快なゲームだ。

失礼な売場

竹製品の売場ですごく長いフランスパンを抱えた若い主婦が、“このパンを入れる長い竹のパン籠ございません?”と店員に聞いていた。もちろんあろうはずが無い。「お願いしても作ってはいただけないわね」と遠慮がちに聞く客に、店の者はただ「ハイ」と答えるばかり。どうせこの店の者、産地に注文を取次ぐ気などあるまいと見て私は、後日竹の産地に行った折、東京向けに長いパンを入れる長い籠をやって見ないかと編て手と問屋にいってみたが、案の定編み手も問屋も気が乗らぬ様子。ついにやろうとは言わなかった。

産地にたまにやって来るデザインの先生のデザイン情報で、かつて一度でも商売がうまくいった経験がないから、地方の産地の人たちはしりごむのであろう。
産地の人になまの情報を流しても無駄である。情報は煮たり焼いたりしないと商売の糧にはならぬ。長いパンが東京で今うれているから長いパン籠が必要なはずだ、というのは単なる情報にすぎない。これを処理して、「こんな寸法の竹のパン籠を100コ至急仕入れたし」というように、情報を注文にまで料理して産地に流すのが流通屋の仕事なのだ。だのにあの様子ではこの竹製品売場の店員は、長いパン籠を産地に注文したとは思えない。だとすれば、この売場は産地にも客にも失礼な売場だと思う。

企業の各セクションのグループエゴイズムのぶ厚い殻にはばまれて、問題意識のある個人(○マーク)の活動は制限されたり禁止されたりすることが多い。その結果として、グループとグループの間に、第三者にとって極めて重要な問題(■マーク)が発生する。
企業の各セクションのグループエゴイズムのぶ厚い殻にはばまれて、問題意識のある個人(○マーク)の活動は制限されたり禁止されたりすることが多い。その結果として、グループとグループの間に、第三者にとって極めて重要な問題(■マーク)が発生する。

クラフトものの売場で白磁のティーセットを買った客、「今のセットに合うティースプーンはございませんの?」と聞く。店員、「ナイフ・スプーンはお2階の方になっております。」店員が2階へと客にいったのは、この売場なりの理由があるからなのである。

それは、ここはクラフトコーナーである。が、スプーンは工業製品であってクラフトものではないから並べておくわけにはゆかぬ、というのが第一の理由。そして、IDものとクラフトものは扱いの問屋も違えば仕入れのフロアも違う。係の違うものを一緒に売ると大変伝票操作が厄介になる!というのが第二の理由。だから一緒には売りたくないというのが本音。

冗談じゃない。ティーカップもティースプーンもともに紅茶を呑むとき一緒に使う道具じゃないか。なぜ一緒にならべて売らないんだ。本当に失礼な売場だ。IDものとかクラフトものとかいう商品区分がそもそもおかしい。デザイナーもこの際そうと解ったらIDとかクラフトとかいわないで、いっそテーブルウェア・デザイナーなんてのが出てきてもいいんじゃないだろうか。その方が客に親切なデザインができると思う。

デパートの瀬戸物売場と漆器売場でも似たような間違いとサボリをやっているのを見た。瀬戸物の売場で、変った湯呑を買った客が店の者に、これに合う茶托が無いかと聞けば、あっちの漆器売場に行けといい、漆器売場でこの茶托はあっちの売場のあの湯呑と寸法が合うかと客が聞けば、さあ、と答えるばかり。客は二つの売場を右往左往した揚句買わずに立去る。

失礼を通りこして馬鹿げた売場である。もとより湯呑と茶托は組みのもの、ショーケースに組んで並べるのが当り前。せめて同じ売場で売ったらどうだ。客にあっちこっち歩かせてまことに失礼千万だ。漆器と焼物は材料も産地も違うから、したがって係が違い、したがって伝票がうるさくなるんだろうが、組みで使うものを組まずに仕入れ、そしてそれを別々の売場で売る、せっかく客がほしいというものを、産地にとりつごうともしない。伝票が厄介だからと一緒に使う物を別々のフロアで売る。みなこれ客を客とも思わぬ失礼な商法だ。

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