
「猿の惑星」化しつつある日本列島
日本人の感性を住環境のなかで説明しましたが、もうひとつ、工夫して作る 「工作」、耕し作ることである「耕作」についてふれてみましょう。この「耕作」と「工作」を大多数の日本人が忘れてしまってから久しいのではないかと思います。
人間と猿の違い、あるいは人間の人間らしさとはなんだろうかというと、これは生活用具を自分の工夫で作れること、というのは先にも書きました。道具を作るか作らないかが別れ目なのです。
人類は道具や工具を自分の手で作る。そして、作った工具を使うことによって、人間は人間らしく発達したのです。人間と猿、あるいは人間に非常に似ている類人猿と人間を分けるとすれば、そこが分岐点でしょう。
道具を作れることが、人間らしさの象徴でもあるのです。
そういう視点からいえば、いまの日本には「類猿人(るいえんじん)」というのが増えているのではないかと思うのです。類人猿でなくて類猿人、つまり、猿めいてきた人間が日本にいっぱい住んでいるのではないだろうかということです。
類人猿と類猿人というのは、実はほとんど同じなのです。両方とも、耕作をやったことがないということで、僕から見れば、同じということになります。
両方ともバナナは好きなようですが、類猿人は買って食べ、類人猿はバナナの木に登って、あるいは棒で叩き落として食べる。両方ともに自分で種をまいたり、肥料をやったりして、バナナを作ろうという意識はまったくない、というところで共通しています。
いまの日本人は、農業に従事している人を除いたらほとんど耕作ということを経験してない。
学校教育のなかでも、ほとんど教えることがありません。いも掘りのカリキュラムはあっても、いもづくりはない。このままだと一、二世代、世代が下がってくると、おそらく日本人は耕作能力がなくなってしまうのではないかと思われます。
米もアメリカから輸入し、農協が間に立って、それを売る。その米を買ってきて、自動炊飯器でご飯を炊く。ここまでは、現在でも行なわれていることです。それがもっとエスカレートすると、食品工場の自動製造機で「おにぎり」をむすび、そのおにぎりまで買って食べる日本人が増えてくるのではないかと思います。
そのころ日本列島は、まさに類猿人王国になるのではないか。つまり、オリのなかでチンパンジーがバナナをもらって食べるのと、ちっとも変わらなくなってしまう、という危機感が僕にはあるのです。
たとえば、オランウータンとかチンパンジーというのは、教えればタバコも吸うし、オートバイにも乗ります。ハシゴを渡すと、上手にハシゴの使い方を考えてオリの天井にぶらがっているバナナを取る、ということもやります。つまり道具が使えるのです。
しかし、チンパンジーもオランウータンもハシゴは作れない。棒きれ一本作れない。近頃有名になったラッコなども、おなかの上に石を乗せて、カラのついた貝を割って食べます。つまり、石で割って食べるという知恵は持ってますが、自分で石を削って手頃なハンマーを作るという能力はない。
そのあたりの能力の違いによって、人類と哺乳類、あるいはチンパンジーと人間を分けているといった学者がいますが、僕も、まさにそうだと思います。
いまのように、受験勉強がメインになって、工作教育(耕作教育)をおろそかにしている学校教育からは、道具を作れる人間は育たないでしょうし、田んぼで稲を植える経験もつめません。そういう世代が何世代かくりかえしていくと、いずれ日本列島中、猿めいた人間が増えてくるのではないか、と思うのです。
買って使うことは上手でも、ものや米を作り出す能力がなくなる――つまり人間的で基礎的な能力がなくなってしまう。「猿の惑星」ではないが、宇宙旅行から帰ってみたら、日本中に猿みたいなものがいっぱい住んでいるということにもなりかねないのです。
出典元・著作の紹介
『新和風のすすめ』
モノ・モノ| 単行本 | 2023
工業デザイナーの秋岡芳夫が亡くなる7年前の1989年に上梓した書籍『新和風のすすめ』を文庫本としてモノ・モノが復刊しました。〝消費者をやめて愛用者になろう〟というスローガンにはじまり、〝新和風〟という暮らし方の提案にいたるまで、秋岡芳夫のメッセージが凝縮されています。
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※掲載箇所:「新和風のすすめ」P45-48







