箸はなぜ「めいめい持ち」なのか(前編)

工業デザイナーの秋岡芳夫は、身体や暮らしにあったものの選び方・使い方に関する多数の著作を残しています。モノ・モノでは秋岡芳夫の本の中から、現代に通じる提言や言葉を掘り起こし、ウェブ上に公開しています。本稿では、日本人の箸に対する鋭敏な感覚を、サイズや重さの面から考察しています。

文: 秋岡芳夫(工業デザイナー)

たなか銘産・つがり箸
湯布院の「箸屋一膳」では、里山の木を使いサイズ別の箸を製作している。

箸の使いやすさの条件

日本人の食生活のなかでいささか不思議な習慣があります。毎日三度の食事で使う箸をめいめい持ちに、という伝統です。なぜ、めいめい持ちなのか、あきらかにされていません。衛生観念という視点から見ても、「同じ釜の飯を食べている」家族同士が、お互いに、気持ちが悪いからと、違う箸を使っているとは考えられません。家族全員が箸を共用しても一向にかまわないはずです。

考えられる理由は、日本人はとにかく手がうるさくて、手にしっくりくるものでなければ満足しない、手に合わない箸だと食事がおいしくない、ということです。

手がうるさい人の食器は、古い言葉ですが、「ごろ」でないといけません。

「手頃」というのは、いまは経済用語。手頃な買い物とは、生活程度に応じた安い買い物ということです。が、もともと手頃さというのは、手に持ったとき、えもいわれぬ調子、いい頃合いのもの、という意味です。

僕らは三度の食事に、自分の手が頃合いだと認めたお椀や箸で食事をしないと気がすまない。目方も長さも使いやすさも手頃でないとご飯を食べた気がしない。だから、自分の箸はこれだと決めておいて、いつもの箸、手頃な箸で食べると食事はおいしい。そのために僕らは、日常、箸をめいめい持ちにしているのです。

こういう経験があります。僕と息子の箸が同じ黒なのです。手の大きさが似ているせいか、長さもほとんど同じです。ただ、目方が二人の好みで若干違っている。一膳で1グラムほど差があるのですが、ときどき配膳で僕のと息子のを片方ずつ間違えてしまうことがある。

ところが、箸を持ってご飯を食べようとしたとたんに二人が同時に、「あっ!」といい、おもむろに取り替えっこをしてから、ご飯を食べ始める。その目方の差はわずかに0.5グラムなのに。

自分の気に入っている箸と違うことは、目方でわかります。目では判別できないほど色は似て、長さも同じで、視覚的にはそっくり。でも、持ってみて気がつくのです。0.5グラムの差に。たいした違いではないからそのまま食べればいいようなものですが、しかし、僕と息子は必ず取り替える。やっと「手頃」な箸を持つことができて、やれやれこれでゆっくり食事ができるぞと、食事にとりかかるのです。

このように、箸一膳の手に感じるデリケートな重さの違い、長さの違い、それから触ったときの手ざわりの違いなどの「手頃」さ、これが生活のなかで予想外に道具と人間の関係を左右しているのです。

ものに対する執着やいいものと暮らしたいという思いから、日本人はめいめい持ちの箸を使っているのです。こうしたことは欧米ではあまり見られません。

出典元・著作の紹介

新和風のすすめ

『新和風のすすめ』

モノ・モノ| 単行本 | 2023

工業デザイナーの秋岡芳夫が亡くなる7年前の1989年に上梓した書籍『新和風のすすめ』を文庫本としてモノ・モノが復刊しました。〝消費者をやめて愛用者になろう〟というスローガンにはじまり、〝新和風〟という暮らし方の提案にいたるまで、秋岡芳夫のメッセージが凝縮されています。
こちらの本はオンラインショップでご購入できます。

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※掲載箇所:「新和風のすすめ」 P90-92

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