「秋岡芳夫と熊本県伝統工芸館」文・坂本尚文

秋岡芳夫とグループモノ・モノが設立に深く関わった熊本県伝統工芸館。創設時のことをよく知る学芸員の坂本尚文さんに、これまでの歩みを寄稿いただいきました。

文: 坂本尚文(熊本県伝統工芸館)

坂本さん
学芸員の坂本尚文氏。1982年の開館時から勤務している同館の生き字引的存在。

熊本県伝統工芸館のコンセプト

熊本県伝統工芸館は、「手で観る工芸館」「誂えがきく工芸館」「市の立つ工芸館」を基本コンセプトとして、1982年(昭和57)8月に熊本城前にオープンしました。熊本県には、国の伝産法にもとづく産地指定品はなく、県が独自に「熊本県伝統的工芸品」の指定制度を設け、県内の伝統工芸の需要開拓や振興に取り組むことになり、その生活文化形成の拠点として、熊本県伝統工芸館が建設されることになりました。3つのキャッチフレーズのもと、熊本県は熊本県伝統的工芸品の指定制度をつくり、県内の陶磁器、木工、金工、竹工芸、染織など、さまざまなジャンルの工芸振興を目的に計画が進められました。当時、公的機関が工芸品の流通にも関わるのは全国的にめずらしいことでした。

熊本県伝統工芸館
熊本城の眼前にひっそりとたたずむ熊本県伝統工芸館の建物。設計は菊竹清訓。

秋岡芳夫がめざした「生活工芸館」とは…

熊本県伝統工芸館設立に際しては、熊本県宇城市松橋町出身の工業デザイナー、秋岡芳夫先生に助言を依頼し、秋岡先生が提唱する「地域におけるモノづくりと暮らし」という考え方を全面的に取り入れることになりました。

熊本県には、歴史的にも産地化した工芸品が存在しないことや、流通形態いわゆる問屋制度がないことなどあげられ、作り手の数も他県に比べると少ない状況でした。これらの弱点を逆手に取り、地域の魅力と特性を生かしながら提唱していく役割と機能が、伝統工芸館に託され、前述の「手で観る工芸館」「誂えがきく工芸館」「市の立つ工芸館」として、基本構想の中に3つのコンセプトが生かされました。

1982年の開館記念展は、グループモノ・モノが中心となり、秋岡先生の指揮のもと、「現代に生きる伝統工芸・北と南のクラフト展」をテーマに、沖縄から北海道まで、全国の産地の工芸品が展示がされました。

翌年(1983年)の開館1周年記念展では、「ちょっと楽しい暮らしの提案ー日本中から熊本の皆さんへ」をテーマに、ジャンルの幅を広げた工芸品の展覧会を開催しました。陶磁器や木工品、漆品、染織品、ガラス、竹製品など、日本全国の工芸産地を代表する職人やクラフトマンが作った、思わず使ってみたくなる工芸品が「生活提案型」の展示で紹介され、販売されことに、おどろきと新鮮さを感じました。来場者からは「東北の漆の器を使ってみたい」「こんなお茶碗でご飯を食べてみたい」といった声が伝わってきました。まさに「くらしのリ・デザイン」を提案する展覧会となりました。

熊本県伝統工芸館
1991年「くらしの工芸展」の際に開催された「工芸のつどい」の様子。中央の立っている男性は秋岡芳夫先生。

秋岡芳夫が提唱した独自の「くらしの工芸展」

開館翌年からは公募展「くらしの工芸展」もはじまりました。この公募展は、熊本日日新聞社との共同開催で、「熊本らしいくらしとモノづくり」としての生活提案をかねそなえ、「プロもアマチュアも垣根を越えてくらしの道具として考えていこう」という趣旨のもと、現在も毎年開催されています。

この公募展がユニークなのは、出品者自身が価格をつけ、来場者は購入できる点です。また、誂え(オーダーメイド)にも対応できることが作品評価のポイントとなっています。会期中には、審査員と作り手がディスカッションしながら自分の考えを伝え、道具としての工芸品を取り巻く環境、今後何を作っていくか、などのアドバイスを有識者から聞けるユニークな参加型シンポジウムも開催されます。その考えは、1回目の開催から変わることなく、地元の工芸ファンに支えられています。

公募展の様子
1991年に開催された公募展「くらしの工芸展」の受賞作品コーナー。

「くらしの工芸展」と秋岡先生の思い

秋岡先生の「くらしの工芸」への思いは、地域のくらしは、地域で生産されたモノで支えられていることを原点とし、くらしが豊かになることは、モノを買って使うだけでなく、その地域で作られたモノ。また、自分自身が工夫して作ったモノを大切に使い、次の世代へ受け継いでいく。そのような精神が伝統を育て上げ、豊かさを次の時代へと伝達していこう、という目的があったと思います。その意志はいまも熊本県伝統工芸館の中に息づいています。

秋岡先生は「くらしの工芸展」の審査で以下の4つの物差しを提唱されました。

(1)作り手に注文ができるかを審査する「誂え」の物差し
(2)技術の向上や産業振興をかねそなえ伝統工芸を審査する「技術」の物差し
(3)創作工芸やクラフトを審査する「デザイン」の物差し
(4)手芸やホビークラフトを審査する「遊び」の物差し

審査は丸1日をかけて行いました。当初は秋岡先生と鈴木建二先生(九州芸術工科大学教授)のお二人に審査をお願いしていました。1点、1点、手にもったり、ちょっと着てみたり、座ってみたりしながら、作り手の職業や年齢なども加味して審査がすすめられました。入選作品は熊本日日新聞でカラーで紹介されました。展示会の初日の表彰式後に審査好評があり、そこで、工芸品を前に作り手の考えを聞き、使い手側から質疑応答などミニシンポジウムも開催されました。審査員は現在4名に増えていますが、審査形式はいまも変わっていません。

審査の様子
「くらしの工芸展」審査の様子。左は竹工家の宮﨑珠太郎氏。中央は秋岡芳夫先生。右は目黒区美術館の館長(当時)の福永重樹氏。

熊本地震から学んだ地域づくりとモノづくり

2016年4月14日、熊本地方や大分県の一部地域で、未曾有の大地震が発生しました。熊本県伝統工芸館も展示施設の大きな損傷で、再び開館できるかどうかの危機を迎えました。職員も避難所からの出勤や車中泊での生活をしながら復旧作業にとりくみました。

また、県内の作り手の安否確認や被害状況の現状など、道路事情が悪い中、現地に足を何度も運びました。住宅や窯場が全壊したところ、断層の地割れで復旧がむずかしい工房など、いまもその状況が一部続いています。秋岡先生の故郷である熊本県宇城市松橋町も甚大な被害が出ました。

毎日がどうなるか不安で先が見えない状況下で、食べること、寝ることで精いっぱいだったことが思い出されます。また、壊れた食器や家具を捨てるべきか修理すべきか、多くの人が悩みました。ある陶磁器の産地からは家庭用食器や業務用食器をたくさん寄付していただきました。最近になってつくづく思うのですが、当時の震災ごみとして路上に山積みなったモノは、電化製品などが最も多かったよう思われます。

余震が毎日続く中、一番うれかったことはモノ・モノをはじめ、いままで交流があった全国の地域や工芸家から多くの励ましや救援物資をいただいたことです。本当に、この場をお借りしまして心よりお礼申し上げます。

普段から自然災害などの危機管理にあまりにも無防備であったことを反省するしだいです。最後にこれからのモノづくりは、伝統的なモノづくり、新しい次世代のモノづくりも、地域づくりの中にヒントがあるように思います。

被災した熊本城
2016年4月の熊本地震により倒壊した熊本城の石垣。2018年1月に撮影。

著者プロフィール

坂本尚文さん

坂本尚文(さかもと・なおふみ)

一般財団法人熊本県伝統工芸館・業務課学芸員

1956年熊本県生まれ。大阪芸術大学芸術計画学科卒業後、京都市の出版社に入社。1983年より一般財団法人熊本県伝統工芸館に勤務。秋岡芳夫とグループモノ・モノが企画した一連の展示会を担当。公募展「くらしの工芸展」の運営にも1回目から関わる。

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