「木の家具展」37年の歩みー木工家・谷進一郎

1982年から37年間にわたり毎年開催されたグループ展「木の家具展」。その歩みを木工家の谷進一郎さんが文章にまとめました。木考会(木工を目指す若者たちの交流の場)を起点とし、木工家という職業の認知やネットワークの幅が広がっていく1970年代、80年代の様子が当事者の目線でつづられています。

文: 谷進一郎(木工家)

毎年続けることで高額の品物も売れるように

「木の家具展」の会場である田中八重洲画廊は東京駅から日本橋高島屋や丸善に行く通りに面しています。東京駅からも日本橋駅からも約3分の立地で、しかも一階にあってガラス張りで中の様子も見やすくて入りやすいので、それまでの顧客や知り合いも立ち寄りやすいので大勢が来場されましたが、全く通りがかりの人たちも次々に入って来られました。

「木の家具展」の始まった時代は、いわゆる「バブル景気」で、日本橋も証券会社が多く、好景気に沸いていて、会社の昼休みの時間には画廊の中がまっすぐ歩けないほど混雑しました。新しい出会いも数多くあって、ここで知り合ってその後顧客になった例も数多くありました。出会ってから現在まで何十年もの間毎年来場されている方もいらっしゃいます。

開催にかかる経費や毎日在廊する負担も少なくなかったですが、メンバーによって過去には「木の家具展」で1年分の家具の仕事を受注した、とか、20万のイスを1ダースも受注したなど、それに見合う売り上げや注文を得ることができました。そのことも長続きした要因です。売り上げや注文が少なければ、続けることが困難になるのは当然のことですから。

手間のかかる木の家具は比較的高額になることもあって、たまたま探していたモノと展覧会で出会って即決、ということがないことはありませんが、普通は気に入った家具と出会ってもそれが必要な状況になった時に注文するとか、展示品を元に個々の希望に合わせてサイズや材質などを変えて作ることが多いわけです。

そうして注文するまでに時間がかかる場合に、「木の家具展」の様に毎年同じ時期に同じ会場で同じメンバーで開催を続けていると、注文する側にとっても熟考する時間があって、1年後、2年後に頼むという例もありますし、どうしようか迷う場合でも、毎年確実に続けていることで、「継続は力なり」と言われる様に周囲の信用も深まることになるのだと思います。

同じ業種のグループ展では、お客の取り合いの様なデメリットも全くないわけではありませんが、それを上回る相乗効果が感じられたのだと思います。
初めの頃は、メンバーそれぞれのお客として見に来ているうちに、他のメンバーの仕事も気に入って購入したりして、今では「木の家具展」のファン、といったお客様も少なくありません。

また、1996年から2001年にかけては、その頃出版されていた木工専門誌の「手作り木工事典」では、毎年「木の家具展」を詳しく取材・紹介してくれましたので、木工家や木工ファンの間で広く知られる様になりました。また、98年のテーマは「仏壇」でしたが、この様に木工家のつくる仏壇に関心が高まっていることを「家庭画報」の編集者に話したところ、2000年にメンバーそれぞれの仏壇を取材した特集記事になりましたら、全国各地からそれぞれに多くの問い合わせや受注がありました。

手づくり木工事典
木工専門誌『手づくり木工事典』が2001年まで毎年レポートを掲載。木工家志望の若者に同展が知られるきっかけとなった。

グループ展を通じて家族ぐるみの交流がはじまる

「木の家具展」メンバーは岩手、長野、愛知、東京など離れた場所に工房がありますが、最初期にメンバーが岩手に参集したのがきっかけで、毎年の展覧会の打ち合わせを兼ねてメンバーの工房を順番に巡って訪問しましたが、そこでは仕事のやり方や道具の使い方など、勉強会の様な面もありました。

会期中全員が在廊している間にも、暇な時間はいろいろ情報交換したりして、交流が深まっていきましたが、それぞれの家族でも子供たちが成長していくに従い夫人たちが在廊することも多くなって、夫人同士の交流も深まり、「25年目」からは、夫人同伴で改めて各地の工房を訪問する小旅行や、全員で京都へ大人の修学旅行をするなど家族ぐるみの交流も深まっていきました。

こうして年を重ねてきて、「木の家具展」が2011年に30年目となった所で、岩手から参加していた工藤さんが諸般の事情で次回以降の参加を辞退されました。残ったメンバーでどうしようか検討したところ、5人体制は続けたい、ということで他のメンバーと仕事の内容がかぶらないし、個展ができる様な力とキャリアの持ち主であり、人柄もまじめで熱心、ということで、群馬県安中市で素晴らしいろくろと漆の仕事をされている若い木工家の夫婦・任さんと大石さんに参加してもらうことになりました。器作家のお二人には「木の家具展」というタイトルで申し訳なかったですが、若い力で頑張ってくれています。

任さんと大石さん
30周年を境に工藤宏太氏が引退。群馬で漆器を製作する任性珍・大石祐子夫妻が新たにメンバーとして加わった。

「木の家具展」での会期中の売り上げや受注も、30年の間では前半が大きく、その後は波がありながら徐々に下降線となってきていると思います。メンバーも年を重ねてきましたが、お客様も高齢化が進み、以前ほどには家具を購入されなくなりました。一方若い世代では、木の家具に対するこだわりが薄れている様にも感じます。私たち世代のこだわりと感覚や価値観に違いがあるのは仕方がありませんが、もう少し木の家具のよさをわかってほしい、暮らしの中で使ってほしいと思います。

家具の売り上げが下がってきても、展覧会の会場費や諸々の経費は増えていきましたから、そんな中で最低限の経費を維持するために、出品内容も大型で高額の家具ばかりでなく、単価の低い小物や器などが増えていきました。小物作りも仕上げや材料にこだわるので簡単ではありませんが、出品に小品が増えると、搬入・陳列も以前より時間がかかりますし、片付け・搬出にはもっと時間がかかるようになりました。この画廊の最終日は17時から次の展覧会の搬入・陳列になるので、それまでに完全退出しなければなりません。最初は閉場時間が16時でしたが、これでは片付けきれずに88年から15時に繰り上げましたがそれでも追いつかず、2002年に14時にして何とか間に合わせていますが、これでもなかなか大変です。

そして、一昨年位から、元からのメンバーの中では、体力、能力に衰えを感じてきて、これからこれだけの規模のグループ展を維持するのは難しい、と意見もあって、皆で話し合った結果、2018年を最終回にすることになりました。

これまで書いてきた様な様々な条件に恵まれただけでなく、幸いにもメンバー全員が健康で現役で過ごせていることも、これほど長い間続けてこられた要因でもあります。同世代の木工家の訃報や廃業の知らせを聞くこともあるので、夫人や家族、スタッフの協力があり、木の家具展で出会った多く方たちに支えられて、好きな木工を続けてこられたことは幸せなことだとつくづく思います。
作りや材料にこだわった、本格的な木工を続けるには厳しい時代となっていますが、私たちも「木の家具展」は終わりにしても、それぞれの制作や展覧会の活動が終わるわけではありませんので、またどこかで出会う機会があれば幸いです。そして次世代の木工家たちがこれからの時代にふさわしい「木の家具展」によって木工文化を継承していってくれたらうれしいことです。

木の家具展メンバー
「木の家具展」の現在のメンバーと夫人たち。右から2人目が著者(谷進一郎)。(2016年撮影)

著者の紹介

谷さん

谷進一郎(たに・しんいちろう)

木工家

1947年東京都生まれ。武蔵野美術大学で家具デザインを学んだ後、松本民芸家具で修業。26歳で独立し、創作と注文による木の家具制作を開始。以降、個展、グループ展で木工家具作品を発表する。国画会工芸部会員、「木工家ネット」主宰。

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