「木の家具展」37年の歩みー木工家・谷進一郎

1982年から37年間にわたり毎年開催されたグループ展「木の家具展」。その歩みを木工家の谷進一郎さんが文章にまとめました。木考会(木工を目指す若者たちの交流の場)を起点とし、木工家という職業の認知やネットワークの幅が広がっていく1970年代、80年代の様子が当事者の目線でつづられています。

文: 谷進一郎(木工家)

木考会
若かりしころの木の家具展メンバー。家具の材料を仲間で分けあうため岩手県下閉伊郡岩泉町に参集したときの記念写真。(1986年撮影)

すべては「木考会」からはじまった

「木の家具展」は1982年から37年間、毎年ほぼ同じメンバー、同じ会場で11月に開催してきましたが、いよいよ今年(2018年)で最終回を迎えます。

現在は野崎健一、川口清樹、井崎正治、任性珍+大石祐子、谷進一郎+スタジオKUKUの5工房が参加しています。このように木工家の自主企画で長い間続いてきたグループ展は他に例がないのではないでしょうか。

そこで「木の家具展」のはじまりと、どのように続いてきたのか、記録として、また多少なりとも次世代の役に立つことがあればと思い、書き留めておくことにしました。 
1977年に東京で「木考会(木工を考える会)」という集まりができました。当時、20代から30代で木工を始めたばかり、あるいはこれから始めたいという若者たちが月に一度集って、語り合い、情報交換し、時にはグループ展を開催していました。

幹事役は今は亡き「でく工房」の竹野広行さん、メンバーには同じく、でく工房の光野有次さん、伝統工芸の須田賢司さんや木工家の野崎健一さん・甘糟憲正さん、木工塾の福山聖海さん、木のおもちゃの中井秀樹さんなど、のべ100人以上の木工家や木工関係者が参加していました。


例会の場所は、中野の「モノ・モノ」(工業デザイナーで木工にも造詣の深かった秋岡芳夫さんの事務所)を利用させてもらいました。普段の「木考会」では、30名くらい集ったメンバーの自己紹介や近況報告から始まって、木工の事、生活の事、社会問題などについて、語り合っていました。また、時にはゲストを招いたり、木工に関連する施設を見学したりもしていました。木考会は「会長」もいない、フラットな「広場」の様な集まりでしたが、こんな風に何事も言い出した人が先導する「この指とまれ」精神で、「幹事役」が中心になって様々な活動が行われていました。

木考会が始まって2年ほどしてから参加した私は、竹野さんや須田さんたちと誘い合って「李朝木工研究会」という勉強会を始めて、木考会の例会の翌日に同じモノ・モノに集まり、数年間続けていました。

当時の木考会の様子については、須田さんが20代のとき新聞に寄稿した記事がモノ・モノのブログで公開されています。興味ある方はごらんください。また、2017年6月には当時のメンバーがモノ・モノに再結集、木考会結成40周年を記念した回顧展「木考会に集って40年」を開催しました。そのときの模様は木固めエース普及会のブログで公開されています。

李朝木工研究会
初期の木考会メンバー。前列右から2人目が幹事役の竹野広行氏。右から4人目は後に人間国宝となる須田賢治氏。(1977年撮影)

木の家具展の前身となった「木の仕事展」とは

この木考会の中で、メンバーの有志で始めたグループ展が「木の家具展」の前身の「木の仕事展」です。

木考会の発足当初から、メンバーの中で「それぞれが作ったモノを持ち寄って展示会を開こうよ!」ということで、1978年12月に銀座の松崎画廊でメンバー21人が出品して「木の仕事展」が開催されました。来場者が4日間で890名と記録があるように、あまり広くない会場が混雑する様な盛況でした。この時には私はまだ木考会に参加していなくて、長野から会場に行きましたが、こうした木工の展覧会がまだ稀有なものでしたから、他にも全国各地から木工家や関係者が見に来ていました。

そして、その後は私も毎月「木考会」の例会に合わせて上京して参加するようになり前述の李朝木工研究会もやっていましたが、1980年に再びメンバーで展覧会をやろうということになりました。木考会の参加人数も増えていたので、より広い会場を探して、同年5月に池袋のパルコの催事場で「80年31人木の仕事展」を開催しました。

この時は私も広報を担当しましたが、まだこの様な「木工だけの展覧会」が珍しかったので、テレビ・主要新聞・様々な雑誌などで取材・紹介してくれた結果、6日間で4000人以上が来場という大きな反響となりました。後日会った人から、この展覧会を見て「木工の世界を知った」とか「木工を始めた」とか、お聞きすることがありますから、その後の「木工ブーム」のきっかけのひとつではなかったか、と思います。

その後、でく工房の仕事(障害者の為の道具作り)は、全国各地に広がって定着していく一方で、出入り自由なゆるやかな木考会の集まりは、メンバーそれぞれが忙しくなったり、目指す方向の違いから、少しずつ潮が引く様に参加者が減って行き数年で途絶えてしまいました。しばらく後に木考会を経験した人たちの中には、東京や神奈川、九州などで形を変えて「木考会」を復活したこともありましたが、それもつかの間でした。

私は長野県で木工家具制作をしていますが、1990年には長野県内の木工家50人が集った「信州木工会」の発足に参加して、現在は会長を務めています。「信州木工会」は木考会と異なり、会長や会則のある会員組織となりましたが、木工家具の展示会を年に数回各地で開催した他、1999年には「木工研究会」を発足させて、情報交換や様々な交流、見学、講習会などをこれまでに50回以上開催するなど、活動は現在も続けています。私としては木考会の内容を受け継いで発展させてきたつもりでおります。

木考会
木考会のメンバーが中心となり、第1回「木の仕事展」が銀座の松崎画廊で開催された。4日間で900名近い来場者があった。(1978年撮影)

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